【2019年6月9日(土) 上田市各地にて】
かねてから企画していました上田方面へのバスツアーを6月9日に開催しました。
「無言館」・「小宮山量平の編集室」訪問の他、田んぼのソーラーシェアリングも視察しました。松本方面のほか、飯山や栄村からも参加者があり、合計20名が参加しました。
昨年度開催した「ドイツから学ぼう」第4回のパネリストとしてお話しいただいた、上田市民エネルギー代表の合原亮一さんが実践されている、田んぼのソーラーシェアリングを現地で直接説明を受けながら見学しました。
合原さんたちがソーラーシェアリングをしている田んぼは、上田市街地から車で30分ほど離れた塩田平という場所にあります。パネル下の稲が完全に日影にならないように、太陽の軌道を計算し、サーバーからの指示でパネルに角度をつけて影を制御し、稲が育てられるようになっていました。更にパネルの下には、上田市の研究開発の補助金を使って光の当たり方と収穫量の比較のために、水温が図れるような装置がついていました。6~9月の稲作期間以外は発電を多くし、経済性と作物の育成を両立させているそうです。
また、瞬間最大風速30メートルにも対応しており、風速を常に監視し風速が12メートルを超えると自動でパネルが水平になるように設定してあり、倒壊しないように留意されているともお話しされていました。
見学した田んぼに設置してあるパネルは100キロワットで、年間の電力収入は280万円程度、(設備費2000万円弱)だそうです。田んぼの上にソーラーパネルを設置しているのは、日本全国3,000箇所程度(合原さんたちの田んぼ3か所含む)で、いまひとつ普及はしていないようです。
オーガニックコットンをフェルトにし、2枚重ねた間に種もみを植え付け発芽させ、そのまま田んぼに敷くことで、そのコットンが雑草の生育を防ぐ「おふとん農法」の田んぼも近くにあり、そちらも実際に見ることができました。
全国の戦没画学生の作品の他に、戦地からの絵手紙や生前使っていた道具などを展示している館内を見たあと、館主である窪島誠一郎さんのお話しを伺いました。軽妙なお話しで参加者の笑いを取りながら、「無言館」を開設するに至った経緯やそのきっかけになった洋画家・野見山暁治さんとのやりとり、どのような思いで戦没画学生の作品を収集しているのか、などお話しいただきました。
野見山さんから戦争で多くの画学生が亡くなった事を聞き、「放っておけば彼らの絵はこの世からなくなる」という言葉をきっかけに、窪島さんは全国をまわり戦没画学生のご家族から絵を寄せていただいたそうです。
「画学生の残した作品は未熟で未完成ではあるが、それらの絵が集まってくると“もっともっと生きて絵を描きたい”という声が本当に聞こえてきた。」という経験をされてから、窪島さんは戦没画学生の絵だけを集めた「無言館」を作る決意をし、全国から寄附金を集め、窪島さん自身も借金をして無言館を建てたと言います。
一度だけでなく、二度三度と訪れる人が多い無言館ですが、窪島さんは「最大の問題点は“当事者である画学生の許可を取っていないこと”。彼らはここに自分の絵を並べることに許可を与えていない。もう一点は、平和記念館なのか、美術館なのかはっきりしない、このような場所に彼らの絵を並べるということは彼らの二度目の死を強いていないだろうか、と本気で考えている」と言います。
お話しの最後、「彼らの絵を見て“戦争で死んでかわいそう、戦争さえなければ”、という思いだけでなく、私たちは戦後どう生きてきたのか、まず自分を見つめてもらいたい、いま自分はどう生きているのかを自分自身に問うて欲しい。彼らの問いかけはそこにあるのでは。」という窪島さんの言葉に参加者も深く頷いていました。
「小宮山量平エディターズ ミュージアム」は上田駅のすぐ近くにあり、編集者であった小宮山量平さんが手がけた多くの書籍と、作家との手紙のやり取りが一緒に展示されている場所です。そしてそれらの作品は実際に手に取って読むこともできます。
エディターズミュージアムは、どれだけの人と巡り合って本を作り上げて来たかという歴史、人と人が向き合った歴史を見ることができる場所だと荒井さんは言います。小宮山さんは多い時では一人の作家と100通を超える手紙のやりとりをしたそうです。(作家の灰谷健次郎さんからの手紙は50通ほど残っている。)そういった手紙は大切に保管されており、手紙を読むと、作家はどういった思いで一つの本を書き上げるか、その時々の葛藤や真実が書かれてあり、その手紙に対して編集者はどのように励ましたのかがわかるそうです。
戦後、小宮山さんは戦争がどういうもので、なぜ始まったのかを、子ども達にきちんと語らなければ、という思いから、「“戦後”創作児童文学」を始め、そういった真実を子どもたちに伝えることで、自分の足で立って自分の頭で考える、“自立的精神”の芽生えを託したそうです。斉藤了一の「荒野の魂」は侵略される側のアイヌの話ですが、“子どもだからわからないだろう”という思いは小宮山さんには全くなかったといいます。
戦後の創作児童文学運動には多くの作家が携わり、その運動の仲間でもあった山中久さんの本の挿絵を描いていたいわさきちひろさんの原画を、荒井さんから松本猛さんに直接お返しするサプライズもありました。
原発事故後、私たちはどうエネルギーを作り、どう使うかを考えなければいけないことを突き付けられました。そしてその考えを行動に移し実践している合原さん。無言館での窪島さんのお話し、荒井さんから聞いた小宮山量平さんの本作りを通した思い、ただ見学しただけでは知ることができなかったことを今回のツアーで知ることができました。生き方を見つめること、人と人とが向き合い思いを共有することは、決して古い考えや思いではなく、いまなお私たちに通じ、その重要性が伝わってきた一日でした。(事務局 牛山)