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〈レポート〉第28回講座「歴史から学ぼう NHKスペシャル『新・映像の世紀』を題材に、今日に至る100年間をふり返る」(全6回)

2016.12.17 | カテゴリー:講座の記録

約100年前に発明された、小型のムービーカメラ。格好の被写体は“戦争”だった。戦争は動く映像として記録され、何度でも再現される。人類が蓄積した膨大な“記憶”を、6回に渡り追体験するNHKスペシャル『新・映像の世紀』は、「映像から読み取れる人々の経験と知恵は、今を生きる私たちの、確かな道しるべになるだろう」と結んでいる。信州自遊塾として想いを同じくし、今回の講座を企画しました。

第1回 7/31(日)【第1次世界大戦 100年の悲劇はここから始まった】

参加者:36名

DVD視聴(75分) 概要と内容の抜粋

パリ万博に湧く平和な欧州が一転、1914年オーストリア皇太子夫妻が殺害されたサラエボ事件をきっかけに、英・仏・露VS独・オーストリア・オスマン帝国を中心に戦争が始まった。理性を失った国家間の手段を選ばぬ殺し合いや謀略、国家や資本家の欲望など、第1次大戦期を様々な角度から描かれている。

  • 軍事同盟に縛られ、戦争を望まない30か国以上の国々も戦争に巻き込まれた。
  • 志願兵は貧しい人々。訓練不足のまま戦地へ。強烈な愛国心で民衆を駆り立てる国家のあり方。
  • 史上初の毒ガス兵器の開発。化学兵器66万発。弾薬の消費 40万発/1日。延べ14億発。日本は英との同盟国を理由に、中国の(独領)青島に出兵。巨大な権益を獲得。
  • イギリス政府は破たん寸前に、戦費は国家予算の6倍に。
    • オスマン帝国の内部破壊工作のため、アラブ独立国家を約束に反乱軍を。(アラビアのロレンス) その裏で、資本目当てにユダヤ人の国家をと、相反する約束。→後のパレスチナ紛争に。
    • 中立国アメリカへの情報戦(貸付戦費回収のため参戦を促す)
    • その裏で、戦後オスマン帝国を、英・仏で分け合う密約。
  • ドイツは破たん間近のロシア帝国の破壊工作に、革命家レーニンを支援。史上初の共産主義国家、ソビエト連邦の誕生。→レーニンは恐怖政治の創始者。8万人を84か所の強制収容所へ、秘密警察チェカは20万人を処刑。
    • 内戦でユダヤ人を大虐殺→ロシアから逃れ、アメリカ・後のイスラエルへ
  • 1918年アメリカの参戦により、5年間にわたる戦争は、世界各地に火種をばらまき終結。死者1700万人負傷者2000万人。
  • 戦争賠償委員会で、英に貸し付けた莫大な戦費の回収のため、モルガン商会が台頭。独の賠償金は国家予算の20倍の相当する額に。→独講和条約に反対する市民団体にヒトラーが参加。
  • 戦後、当時の皇太子(昭和天皇)が訪欧。破壊しつくした荒野と廃墟を目にして、戦争への批判と、痛む胸の内をメモに残している…が。
  • その後、戦争によって世界中に紛争が広がり、難民があふれ、多くの国が来るべき戦争に備えた。 (トルコ・ギリシャ戦争/アイルランド内戦/トルコ・アルメニア難民/日本シベリア出兵)

講義と質疑応答(75分)         講師:歴史学者 笹本正治

日本の戦国時代が専門の笹本先生ですが「人間とはいったい何なのか?」という、意外な切り口で話をされました。映像の“記録と記憶”では、「人間はなぜ記憶しなければならないのか?」という問いかけを。情報と記憶を握った者が権力をつかむ。現代において、大学入試で記憶力は試されるが、人格や人間性のチェックは行われない。情報によって我々は白痴化している。情報は与えられるもの、真実は流さない。3.11の原発事故がいい例、国民は何も知らされず、フランスの方が知っていた。「人間の使命は想像力を働かせること」、流れる情報の裏を想像してみると…。

戦争は、個人がやれば犯罪行為でも、国家が行えば、勝利者が正義。戦国にロマンを感じるのは何なのか? 戦国時代の戦争の実態や悲惨さは語られない。NHK大河ドラマは、戦国ものか明治ものなのは、どうしてなのか?「人間はなぜ、戦いを続けなければならないのか?」と。

人類という種“人間”について、地球から見れば人類はいない方が良い。人類は種として問題があるのではないか? 我々は進歩していない。人間の弱さを自覚すべき。

社会において、「人は人としてどう行動し、どう責任を取らねばならないのか?」「大人は大人の責任を取っているのか?」歯止めを、もう一度考えなければいけないと語られました。

すぐに答えが出ない哲学的な問いかけと、答えの糸口を探るようなお話は刺激的で、時間を忘れて聞き入りました。参加者からは、「弥生人は難民なのか?」や、「信州人は閉鎖的ではないか?」など、多くの質問があり、松本人・信州人・日本人・地球人…視点の距離感で感じ方は違う。価値観が多様であることを受け入れる社会が大切。他人を受け入れる要素を見せてやらないと、そういう大人になる。と、昨年まで信大副学長だった先生の、教育への想いも伺えました。
参加者からは、「興味深い内容で、考えさせられた」といった声が多く寄せられました。《記録:くぼた》

第2回 8/20(土)【グレートファミリー・超大国アメリカの出現】

参加者:31名

DVD視聴(50分)概要と内容の抜粋

第1次大戦終戦(1918)から第2次大戦開戦(1939)までの約20年間、未曾有の好景気に沸くアメリカ。巨大財閥「グレートファミリー」の資本主義による富と欲望。アメリカを中心に、大量生産・大量消費社会の到来から世界大恐慌までが描かれている。

  • 背景
    • 好景気…史上初めて生活必需品以外のものを買える社会の誕生(大量生産・大量消費) 週休2日制で余暇を楽しむ余裕が、従来のモラルの崩壊。格差の拡大。労働者のデモ・ストライキ(欧州の労働運動)。
    • エネルギー革命…石炭から石油へ。技術革新で自動車が大衆の乗り物に。
    • 移民大国…1920年から10年で400万人超(イタリア人・ユダヤ人多数)移民労働者。
  • ロックフェラー…石油事業で財を成した企業家一族。世界最大の富豪。油田の採掘ではなく、精製・販売のビジネス「スタンダード石油」を。シェア全米の90% 大恐慌の中、ロックフェラーセンタービルが完成。三代目が9.11の、あのワールドトレードセンタービルを建設。
  • モルガン商会…ウオール街の帝王、アメリカの影の支配者。アメリカ横断鉄道・エジソンの会社「GE」・ベルの通信会社・自動車の「GM」など、中枢の会社の多くが顧客だった。
  • ロックフェラーセンタービル

    デュポン…火薬メーカー、1次大戦の火薬の40%を供給。火薬の原料から、合成ゴム・プラスチック製品を開発。(レーヨン:絹の代替品・セロファン:包み紙の進化・ナイロン:ストッキング)

  • 大恐慌…好景気が一転、1929年ウオール街で株価が暴落し、1週間で半分に。恐慌の波は世界に波及。労働者紛争、ファシズムや社会主義に傾倒。資源・領土を求め軍国主義が台頭。

講義と質疑応答(90分)  講師:信州大学人文学部教授 久保 亨

中国近代史がご専門の久保先生は、今回の映像の大事な点、訂正したい部分などをまとめ、歴史をひも解くように、編集の批判を交えて話しをされました。

  1. この時代「超大国アメリカ」という呼び方は不正確。1次大戦で疲弊していたとはいえ、大英帝国がインド・シンガポール・香港などの植民地に軍事基地を構え、相当な力を持っていた。アメリカが超大国と呼ばれるのは、第2次大戦後の東西冷戦時代から。
  2. 「ユダヤ人」という言葉が多用されている点。社会科学・人文科学的に見ると、差別用語に近い言葉。第2次大戦後欧米が石油支配の拠点として作った国、イスラエルが作った言葉だが、イスラエルには、ユダヤ系の人々ばかりでなく、アラブ系を含む様々な人種が住んでいる。
  3. 30年代の大恐慌からファシズムへの流れが、直線的に描かれ過ぎている。当時、日本の輸出品の4割が生糸、その8割超がアメリカへ輸出。日本の製糸会社、片倉(信州・群馬)・グンゼ・鐘紡も打撃を受けたが、大恐慌を生き残っている。生糸は主にストッキングの原料だった。ナイロンの工業化は1939年から、ナイロンス製ストッキングはそれ以降の時代の話。
  4. 「グレートファミリー」という財閥論。日本でも、三井・三菱・住友・大倉・安田などの財閥ができ、一族経営の会社組織が生まれたし、財閥は中国にもあった。例えばロックフェラー、ひとりの才覚で成したのではなく、会社のシステムが巨大企業を作った。資本主義を支えたのは会社組織である。

講義を終えて、「映像は誰が編集するかによって、視点が変わってくる。単純に信じてしまうのは危険」と、塾長。久保先生には、当時の日本と中国の関係や、日本の中国侵略など、専門の中国近代史について多くの質問があり、平和を模索しながらも軍拡に進んで行った背景など、膨大な知識を基に丁寧に説明されました。
また、ロシア革命→社会主義へ移行した背景と、社会主義本来の理念。他国には干渉しないというスタンスだった当時のアメリカは、植民地を持つ欧州とは対照的だったなど、世界においても幅広く話された上で、「今のように平和な状況にあっても、戦争になる可能性はいつもある。例えば、尖閣で偶発的な衝突が起きたとき、日本の世論、中国の世論がどうなるのか…、戦争への道は1本道ではない」と語りました。参加者からは、「難しいけど面白かった」という声が聞かれました。 《記録:くぼた・宮脇》

第3回 9/17(土)【時代は独裁者を求めた】

参加者:33名

DVD視聴(50分)概要と内容の抜粋

独裁者ヒトラーの台頭(1923年)。なぜ人々は独裁者を迎え入れたのか?なぜ世界は独裁者を止められなかったのか?参戦国50カ国、5000万を超える人々が犠牲となった第二次世界大戦は一人の独裁者の狂気が生み出したものではない。大恐慌で資本主義に幻滅した人々はファシズムを支持し、世界中の企業がナチスを支援した。破壊と殺戮の第二次世界大戦。独裁者に未来を託し、世界を地獄に追い込んでしまった人々の物語。

  • 第二次世界大戦、参戦国50カ国以上、5000万人を超える犠牲者の多くは一般市民、ジェット戦闘機、弾道ミサイル、原子爆弾、新型殺戮兵器が登場する。民主主義、共産主義、ファシズム…敵対する国家はそれぞれのイデオロギーを掲げた。世界を覆った狂気の中心にいたのはアドルフ・ヒトラーであった。
  • 第一次世界大戦の敗戦で疲弊していたドイツはヒトラーに未来を託す。世界でもっとも民主的だったワイマール憲法の下で、主権者であるドイツ国民による選挙によってナチスは第1党に選ばれる。共産主義の台頭を恐れた資本家や他の政党もナチスを支持。こうしてヒトラーは、国会で合法的に首相となる(1933年)。反ユダヤ主義のアメリカの自動車王ヘンリー・フォードはヒトラーにも影響を与え、ナチスに資金援助。民主主義への失望、反ユダヤ主義、反共産主義、世界恐慌がナチス台頭の背景にあった。
  • アウシュビッツ収容所

    1933年ナチスは全権委任法制定、独裁政権誕生。市民に労働、夢を与え、経済成長していくことで圧倒的な支持を集める。ニュルンベルク法制定、ユダヤ人の迫害始まる。第一次大戦後の取り決めを無視して領土拡大のため軍備増強。

  • 空の英雄リンドバーグもヒトラーを支持。ヒトラーの再軍備をデュポン社、スタンダード石油、ゼネラル・モーターズ等100社を超えるアメリカ企業が協力し支えた。
  • 1937年、日本は南京陥落。1936年、日独防共協定(翌年、イタリア加入)。翌年、独オーストリア併合。さらなる領土拡大の動き。独ソ不可侵条約。
  • 1939年独、ポーランド侵攻、1940年パリ占領、イギリス空爆。9月、第二次世界大戦開戦。ユダヤ人迫害。中立を保っていたアメリカも日本軍の真珠湾攻撃によって参戦、全面戦争へと突入。

講義と質疑応答(90分)  講師:信州大学人文学部教授 久保 亨

映像はドイツを中心に描かれていましたが、世界の動きの中で中国を見て来られた久保先生(中国近現代史専門)は、それに伴う日本や中国などの動きについても語られ、広い視野で歴史を見直し、考えることができました。

  1. 「時代は独裁者を求めた」というタイトルには違和感を持つ。共産党を含め、反独裁のスペイン、フランス人民戦線、各地レジスタンス運動、中国憲政運動の展開などもあったので、それがすべてではない。民主的な手続きを踏み、民衆生活の改善を伴い、ナチズム・ファシズム・日本軍国主義は登場した(但し、イタリアとドイツが国家的社会主義を掲げ民衆の支持を得たのに比べ、日本は異なる)。
  2. ナチズム、ファシズム、コミュニズム、ミリタリズムは同じではない。「ファシズムと共産主義」を一括りにする見方は東西冷戦時代の産物。映像の中ではナチズムが共産主義を倒すためにソ連侵攻したように描かれていたが、戦争は主義主張で起こるものではなく、そこには必ず利権を求める背景がある。ソ連へのナチスドイツの侵攻も日本の中国への侵攻も資源を求めてのものであった。
  3. ナチズム形成過程も、ドイツ国内の反ナチ運動形成過程も系統的に描かれるべき。第一次世界大戦後の苛酷な賠償下の長期不況がナチズム形成の土壌になった。国防軍の中にはヒトラーと考えを異にする者もいたため、ヒトラー暗殺未遂も何度か起こった。戦後のドイツの反ナチズムの教育の徹底は、陸続きの近隣のヨーロッパ諸国との関係改善のためにも必要だった。ただし、東ドイツは西ドイツほど徹底した反ナチ教育が行われなかったため、現在見られる移民排斥を主張する国家主義的な動きは東ドイツ地域のほうが強い。当時、ナチに侵略されたヨーロッパ諸国は国家として成立していたためにナチスの犯した戦争犯罪を厳しく糾弾し、賠償請求したため、ドイツの平和教育は徹底的にナチズムを批判した。それに対して、日本が侵略した国々は国家としての自立性が低かったために、日本の加害者としての実態が明らかにされなかった。それが日本の平和教育の弱点になった。
  4. アメリカの第二次世界大戦参戦理由は複合的に捉えるべき。1941年までアメリカは中立を保っていた。ドイツ軍によるポーランド侵攻(1939年。ポーランドにはアメリカ移民が多かった)やパリ占領、イギリス空襲開始(ともに1940年)などの動きのなかで、アメリカ政府は危機感を強めていった。日本軍の真珠湾攻撃によって独伊もアメリカに対して宣戦布告をし、アメリカは連合軍として参戦。

「ヒトラーはある日突然、「独裁者」として現れたのではない、民主的な選挙によって選ばれた」という事実を改めて考えさせられました。ヒトラーの独裁を許した全権委任法も国会を通して制定された。その背景には経済発展さえ進んでいれば独裁もユダヤ人排斥も認めたドイツ国民の判断があった。これは現代の日本社会でも教訓にすべきことではないかと考えさせられる講座でした

講座終了後、参加者から「“時代は独裁者を求めた”ではなく“時代が独裁者を作った”と思う。そういうものを生み出さない時代を作るにはどうすればいいのか」、「教科書では学べない視点で知識が深まった」、「戦争はどうやってなくすことができるのか、草の根から大きな力にならないと」などの思いが寄せられ、多くの映像を見て、先生の講義を受けるスタイルの講座は大変わかりやすいという声が多かった。《記録:松本(照)》

第4回 10/29(土)【世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた~冷戦】

参加者:32名

DVD視聴(50分)概要と内容の抜粋

東西冷戦の構図

資本主義のアメリカ、社会主義のソビエト。アメリカの諜報機関CIA、ソビエトの秘密警察KGB。冷戦時代、両国は激しいスパイ合戦を繰り広げた。 東独の秘密警察シュタージが行った諜報活動は、夫婦がお互いに監視、親しい隣人を盗撮させた。一方、アメリカのFBIも盗聴、家宅侵入、脅迫などで共産主義者の摘発(赤狩り)を行った。
冷戦終結から25年、情報公開により見えてきた舞台裏の全貌。CIAとKGB、FBIやシュタージ。世界を秘密と嘘が覆った。核戦争という破局に怯えた狂気の時代を、スパイ戦という視点から描く。21世紀のいま、世界各地で吹き出している憎しみを生んだ、秘密と嘘の時代。

  • 第二次世界大戦でファシズムという共通の敵が姿を消した後、対立する米ソの覇権争いが再びむき出しとなる。米ソ双方がナチの軍事機密を持つ研究者や技術者を、戦犯から除外する条件で雇い入れた。また、アメリカの巨大諜報機関CIA(アメリカ中央情報局)はナチの残党をスパイとして大量に雇い、一方でソビエトの秘密警察KGBも世界中でスパイ戦を担い、国内では人民を弾圧した。
  • 異常な警戒心を持ち、恐怖政治でソビエトを支配したスターリンは大戦中からアメリカに巨大なスパイ網を築き、アメリカから核兵器の機密を盗み出して核兵器を手にする。アメリカでは共産主義への恐怖を煽り、赤狩りがエスカレートしていく。異常なほど赤狩りに協力的であった売れない俳優ロナルド・レーガン(後の大統領)はFBI(連邦捜査局)のスパイだった。
  • 1953年、スターリン死去後、アメリカは海外の政権崩壊を狙った秘密工作を進め、イランのモサデク政権を転覆させる。石油利権と親米国家成立を成功させ、その後も各地で反米政権を転覆させていく。
  • 1962.10.25 朝日新聞朝刊

    東西対立の最前線、ベルリンで1961年、市民の西側への逃亡を防ぐため壁が築かれる。旧東ドイツ秘密警察シュタージは西側と通じる者を厳重に監視。密告を奨励し、市民の人間関係や心を破壊した。

  • 同じ年、ケネディが大統領に就いたアメリカは、隣国、キューバにソビエトの核兵器が持ち込まれていることを知り驚愕。その後もキューバ危機は緊張を高め、核戦争による世界破滅の危機は一触即発となる。
  • ウサマ・ビン・ラディン

    暗殺されたケネディに代わって大統領となったジョンソンは北ベトナムへ大量の軍を送り、空爆を開始。南でも、共産主義や北に通じる疑いのある民間人を拷問、虐殺、村を焼払った。南でもアメリカへの憎しみが拡大していった。国内の反戦運動指導者、公民権運動にも圧力をかける。ベトナム戦争終結後、ソビエトはアフガニスタン侵攻。対するイスラムゲリラにアメリカは最新兵器を提供・訓練した。訓練を受けた中に、その後アメリカで起きた9.11同時多発テロを首謀したビン・ラディンもいた。

  • 米ソはその後も、中南米やアフリカを舞台に代理戦争を繰り返し、大量の武器と憎しみがばらまかれた。米ソが引き上げた後、荒廃した大地に、21世紀、世界に恐怖をもたらす憎しみの種が撒かれた。

講義と質疑応答(90分)講師:信州大学人文学部准教授 大串 潤児

「『冷戦』をどう見るか?」というタイトルでお話し頂きました。

  1. 番組の感想と論点
    • 今回からは、まだ実際に見聞きした人も多く、「現代史」というより「同時代史」。「こうゆうことだったのか」と思う方も多いのでは。 「情報(Intelligence=スパイ活動などを含む「諜報」)」という観点で、「冷戦史」を再構成している - 以前の『映像の世紀』と違い、SNSが普及して、情報があふれる時代を反映した観点。
    • 「情報」は、「国益」が優先されると、民衆に公開されないことも多い(黒塗りだらけのTPP文書など)。プロパガンダにも利用される。「情報」だけで事実をとらえるのは危険。
  2. 「冷戦」の把握
    • 「冷戦」は、1948年~1989年(東陣営の崩壊)までを指すが、80年代には、レーガン・サッチャーの「新自由主義」で資本主義が変貌していき、その頃を「新冷戦」と呼べる。
    • 日本では、CIAのエージェントであった正力松太郎(元読売新聞社主)―中曽根元首相のラインにより、原子力が啓蒙・進められた。
  3. 民衆にとっての「冷戦」
    • ベトナム戦争・朝鮮戦争時の反戦運動のような、国境を越える異議申し立てが行われた。
    • 今の学生などはこの映像を見ても、今とは異なる「怖い時代」と思うかもしれないが、「相互不信」は、今もある。例えば、大学の講義で慰安婦問題を話すと「偏向教育」として圧力が加わる。
    • 最近のソ連研究の言葉を使えば「囁きと密告」が奨励された社会で、民衆がどのような信頼関係を作っていったのかという論点が大事。

質疑応答の一部

先生の専門でもある、冷戦下の日本についてもう少し教えて欲しい。

1948年の韓国済州島四・三事件(反共政権による島民虐殺事件)の流れで、翌年、松川・三鷹・下山事件などを、占領下のGHQが起こした可能性がある。 近年、GHQの記録は公開されるようになったが、まだ軍や諜報機関の記録は公開されず、闇の中のことが多い。

今の学生は、「情報」に対する自分の意見をあまり言わないのでは?

SNSやネットは、大量の情報がフラットに存在し、 難しい。SNSは「つながる」ための場所で、異論 を言うと炎上しがちで、議論の場になりにくい。

参加者の感想にもありましたが、冷戦下の大国の陰謀のすさまじさを思い知らされると共に、現代も形は違うものの、「情報・諜報」の怖さや重要性を学ぶ時間 になりました。《記録:松尾》

第5回 11/13(日)【若者たちの反乱が世界に連鎖した】

参加者:27名

DVD視聴(50分)概要と内容の抜粋

ウッドストック・フェスティバル

1960年代末、既存の政治体制にNOを突きつける若者たちの反乱が、まるで示し合わせたかのように、同時多発的に巻き起こった。西側で上がったのは、ベトナム戦争反対の声だった。アメリカ・フランス・ドイツ・日本、そして東側でも、自由と民主化を求める声が沸き上がった。若者たちを団結させたのは、テレビだった。衛星中継が実用化され、東西の壁を越え、あらゆる出来事が世界に瞬時に伝わるようになっていた。
大戦後のベビーブーム世代による爆発的なエネルギーは、それまでの価値観を壊し、カウンターカルチャーと呼ばれる新たな文化を生み出した。激動の1960年代、世界で連鎖的に巻き起こった、若者たちの反乱の時代を見つめる。

  • チェ・ゲバラ

    1967年6月、史上初の国際衛生中継が世界24カ国で同時に放送された。人々は世界が確かに繋がっていることを実感した。
    テレビに映し出されたベトナム戦争を、世界が目撃。やがてアメリカで起こった反戦運動は、世界に飛び火した。若者たちは、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラや、中華人民共和国を建国した毛沢東の肖像を掲げて反乱を起こした。1968年には、パリ五月革命、新宿騒乱、アメリカの黒人暴動、ロンドンでも学生による暴動が起こり、その中にはスティーブン・ホーキング(理論物理学者)や、ミック・ジャガーの姿もあった。

  • 若者たちの反乱は新しい文化を生んだ。ボブ・ディランのメッセージソング、ヒッピーやロックンロール…、これまでの価値観や権威を否定することから生まれた、カウンター・カルチャーが出現した。
  • ベルリンの壁1961~1989左が東側、右が西側

    西側で巻き起こった反乱は東側にも伝わっていた。報道と言論の自由を獲得したプラハの春。その後、ソビエトによる弾圧に市民は非武装で立ち向かった。その様子を世界が見守った。弾圧を逃れながら、放送を続けるラジオ局から市民にメッセージを発し続けた劇作家バーツラフ・ハベルは、その後、ビロード革命を経て生まれた新生チェコスロバキアの大統領に就任する。

  • 1989.11.9ベルリンの壁崩壊

    1987年6月、西ベルリン側の壁の前でデビッド・ボウイが野外ライブを行う。その声は壁の向こう側にも届き、5千人もの人が集まった。その二年後、自由を求めるエネルギーは爆発し、東西を分断していたベルリンの壁がつき崩された。
    プラハでは民主化を求める学生デモが20万人の大集会へと発展、社会主義政権を打倒した(流血なしに成し遂げられた“ビロード革命”)。東ヨーロッパの社会主義政権はドミノ倒しのように崩れていった。

講義と質疑応答(90分) 講師:信州大学人文学部准教授 大串 潤児

「『1968』をどう見るか?」というタイトルでお話し頂きました。
・なぜ学生が同時に反乱を起こしたのか? ・なぜ連鎖したのか? ・何に対する反乱なのか? …と問題提起し、起きている現象の奥を深めて考えてほしいと投げかけられました。今回のテーマは、前回にも増して「同世代史」である。当時、自分は何をしていたのか、社会の出来事がどう自分に影響していたのか…。そこから見つめると、見えるものがあるかもしれないと話されました。

  1. 番組の感想と論点
    • TV 画面のサイズ制限で、戦争や殺人行為のリアルさが半減し、矮小化されてしまう危険性がある。”living room war”という言葉が生まれた。かえって感情に訴えるポエムとかの方が、よりリアルに伝わるのかもしれない。
    • パリの5月革命(1968.5.10に、ゼネストを主体とする民衆の反体制運動が勃発。それに伴う政府の政策転換を指す)では、学生や労働者、市民、違った要素を持った人々が自由に話し合っていて、そこに共感や共鳴が生まれた。現在の学生たちは、本質的には分かり合えないと思っているのに、SNSで「分かる」を連発する。「分かる」が軽くなっている。“共感”より“共鳴”(シンパシィ)のほうが、今の学生には入りやすいのかもしれない。
    • 反乱の連続性と情報源。 1968年→1975年 サイゴン陥落(反戦運動の終息)→1989年 ベルリンの壁崩壊・天安門事件 → 2012年「アラブの春」と呼ばれる革命。
      当時は、TVと共にラジオが重要な情報発信源。現在はSNS。東欧の民主化や2012のアラブの革命のその後は? 情報の正と負を考える必要がある。当時から情報は、資本にコントロールされていた。受け手は注意が必要。
  2. 同時代(高度成長時代)の日本の現実「三里塚と水俣病に焦点をあてる」
    • 三里塚闘争(成田の三里塚芝山空港反対運動) 百姓から農地をとりあげられる悲しみをつづった遺書からの引用、「もっとも人間らしく生きようと思っている人間が、なんで非人間的にあつかわれるのかな。本当に国家権力というものは恐ろしいな。生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな。…」三里塚闘争は、土地と農を守る、最後の百姓一揆ではなかったか。
    • 水俣安賃闘争と水俣病(工場排水による公害病) 土着の工員と土地に根を下ろさず配転していく社員。安賃闘争の深い亀裂を語る、チッソの労働者の証言。労働組合として水俣病を放置してきた、いわゆる「恥宣言」1968・8・30 「今まで水俣病と斗い得なかったことは、正に人間として、労働者として恥ずかしいことであり、心から反省しなければならない。」(第31回新日窒労組定期大会決議(史料)『さいれん』1931号1968・8・31掲載)

    東の三里塚、西の水俣が問いかけるものは何だったのか? 三里塚は、生き方としての農と自然と土地。水俣は、人間として生きる、働くとは何か? を問うているのではないかと、当時を語る書物や史料、年表を引用しながら、社会的背景、当事者の心情などを話されました。日本の1968年では、学生運動、沖縄の1968、明治100年反対運動など。若者の反乱と一括りに語ることはできない。学生たちは何を問うたのか? 何に対する問いかけだったのか? 皆さんから話を聞いてみたいと締めくくられました。

    講義を受けて塾長は、「三里塚も当初は大きな話題になったが、過激な“武装闘争”を行う全共闘系全学連と一部の農民の戦いは孤立した。水俣もまた問題点を意識している人は一定数いただろうが、社会的な大運動になっていたわけではない。文献として論じたものが残ると、歴史的にはそれが時代の中心だったように位置づけられる」と見解を語り、また、「1968年、私は高校三年生で学生紛争を目の当たりにしてきた。三里塚(成田)闘争と水俣がこの時代を象徴するということに違和感がある。当時の東京の大学生や高校生の中で“大学紛争”に参加していた人は決して大多数ではなかった。テレビなどで取り上げられたために、多くの学生が参加していたように思われがちだが、大半の学生は、ベトナム戦争や大学紛争の問題について考えてはいたが、行動を起こすところまでいく人はその中の一部だった」と、当時を振り返りました。

    大串先生からは、現代の若い人の問題点として「SNSなどのコミュニケーションでは論議をすることがない。争いを好まないために、政治的話題は避ける」ことを挙げ、「個の確立が弱いのではないか。欧米人は議論をすることが多くある。相手の意見を聞き、自己の意見を言う。自分でものを考え、発言するようになることが大切ではないか」などの意見が交わされました。

    参加者からは、「松本市では、信大には立て看板があった。高校では、深志高校では少し動きがあったが、私立高校などでは動きはなかった」など、当時の県内のようすや、新宿騒乱や水俣の運動に関わった実体験 などが語られたほか、「後世代生まれの自分には、この世代の人の感覚に違和感を持つことがある…」など世 代間のギャップを感じさせる発言もありました。《記録:くぼた》

第6回 12/11(日)【あなたのワンカットが世界を変える】

参加者:32名

DVD視聴(50分)概要と内容の抜粋

21世紀、誰もが撮影者、誰もが発信者となり、あらゆるものが映像化される新たな映像の世紀の到来。それは世界を引き裂き、底知れない憎悪を生み出す半面、時空を超えて世界をつなぎ、喜び・悲しみ・痛みを分かち合う。映像は今、世界を動かす巨大なパワーを持った。最終回では、「映像が生まれてから100年余り、膨大な記憶を蓄積してきた人類は、これからどんな記憶を紡いでいくのだろう」と、結んでいる。

アメリカVSテロリスト 映像のプロバカンタ戦

9.11ワールドトレードセンタービル

  • アメリカ同時多発テロ…2011.9.11ワールドトレードセンタービルと国防省ペンタゴンに飛行機が突入し、3000人もの犠牲者を出した世界最大のテロ事件。
    最後のトレードセンタービル、空港のゲートを通り抜ける犯人の姿、ビルに航空機が突入する瞬間、知らせを受けるブッシュ大統領の姿までが、映像として残っている。

  • 3日後、ブッシュ大統領は“テロとの戦い”を宣言、支持率は90%に上昇。テレビでは、1週間にわたってテロの映像を流し続けた。パレスチナ出身でNY在住の思想家エドワード・サイードは、「しつこいほど家庭に持ち込まれるテロ映像は、抑えきれない報復の想いを増幅させている」と、報道番組のあり方に警鐘を鳴らした。
  • テロ組織アルカイダの引き渡しを拒むアフガニスタンへ攻撃を開始した2時間後、オサマビンラディンのビデオメッセージが発信。→アメリカへの不満を持つイスラム教徒たちが共感。
  • テロとの戦いは拡大し、イラク戦争へ。独裁者フセイン像が倒され、イラク国民の喜びを伝える映像。→アメリカの戦いは正当性があると印象付けた。
  • 米アブクレイブ刑務所で、アラブ人を虐待する映像が流出。イラクでの怒りのデモは、イスラム諸国に広まった。→2週間後、アメリカ人が同様の虐待を受け殺される映像が、TVではなく独自のHPから発信。テロ組織は後に、イスラミック・ステイト(IS)と名乗る。

映像革命

  • 2004.12.26スマトラ島大地震によるインド大津波の映像は、市民が撮影した映像が、ニュースのトップを飾る最初の出来事だった。このニュースをヒントに、アメリカの若者が動画投稿サイト(ユーチューブ)を開設。
  • ユーチューブは、誰もが自由に映像を発信できるツールとして急速に進化した。それは、国家のコントロールを超え、米軍がイラクの民間人を銃撃する映像や、米兵のヘルメットカメラの映像が流出。テロリストも戦意高揚のために、自爆テロの映像を投稿。
  • 1分間に数百時間というあふれる映像の中で、そのひとつが社会を大きく動かすことになる。2010年、ある若者の1本の投稿をきっかけに、ゲイという理由でひどいいじめにあってきた人たちが次々と投稿。2015.6.26アメリカ連邦最高裁判所は、同性愛婚を禁止する法律を違憲とする判決を下し、同性愛婚が全米で認められた。

性的マイノリティーの象徴、レインボーフラッグ

映像がもたらした革命

チュニジアの一人の青年が投稿した映像が、革命にまで結びついた。投稿から1カ月足らずでチュニジア政府は転覆、革命の動きはアラブ全土へと連鎖した(アラブの春)。“アラブの春”は独裁政権に抑え込まれていた勢力を解き放ち、リビアやシリアでは内戦に変わっていった。

2016年、シリアホムスの廃墟の映像。国民の半数が難民に。過激派組織ISは、絶望した若者たちを飲み込んで、膨れ上がっていった。

新たな映像の世紀 世界はどこに向かうのか

パリの広場に立つイスラム教徒の男性とハグする市民

  • 2013.4.15ボストンマラソンでの爆破テロ、犯人逮捕の決め手は、監視カメラの映像。
  • 2015.9.3シリア難民の幼い子供が、トルコの海岸に打ち上げられた映像。→世界中で難民を積極的に受け入れるよう声が上がった。→2015.11.13パリ同時多発テロ。テロの恐怖と新たな憎しみが生まれた。3日後、目隠しをして無防備にパリの広場に立つイスラム教徒の男性。憎しみの連鎖を断ち切ろうとするささやかな試みも世界に発信された。

講義と質疑応答(115分) 講師:歴史学者 笹本正治

今回の講義にあたり繰り返し映像をご覧になったという笹本さんは、映像を見るなかで感じたことを率直に語り、大きな視点に立って、わたしたちが見落としてはならないこと、忘れてはいけないことを提示し、人としての生き方や、地球上に生きる生物としてのあり方についての示唆や問いかけで、6回シリーズの講座を締めくくられました。

  • いい番組だとは思うが、価値観の多様性を言いながら、本当にそのことを認めているのか疑問を持った。映像がすべてではないこと、映像には撮り手、流し手の意図が介入していることを忘れてはならないし、映像の強化がされればされるほど、目に見えるものだけを信じる人が増えていく。それは、想像力の欠如につながるのでは、という大きな懸念がある。映像が流れるとそれ以外のものを許容しなくなり、私たちが本来持つ読む力、想像する力、考える力が弱体化していく。それはそのまま他人に対する配慮、思いやりの劣化にもつながる。
  • 思索する時間が失われたのが現代。社会に影響力を持つ人たちに都合のよいことだけを主張する。これは社会に蔓延している自己本位に直結してくる。刺激のある新しいものに気が向いて、本当に重要な部分がなんであるかついつい忘れてしまっているのではないか。大量に氾濫する映像や情報、それらすべてを確認することは不可能であり、あまりにも多くの情報は記憶を曖昧にし、ゴミ化していく。扱い方を教えないままの情報の垂れ流しはむしろ害にもなる。
  • 映像の中で、「同性愛者の結婚禁止を違憲とすることを認めた」という部分は、多様性を認めたということだが、本当にわたしたちは多様性を認めているのだろうか? いま大きな問題になっているテロ問題の背景についてはどうか。かつてベトナム戦争に抗議し自殺を遂げた人たちがいた。韓国ではあれだけ若者たちが動いて熱があるが、わたしたちはどうなのだろう? また、破壊されつくしたシリアの強烈な映像とともに「人影はない、実に国民の半数が難民となった」とあるが、これを引き起こしたのはなんだったのかと考えざるを得ない。さらに、2013年ボストン爆破テロ犯人を捉えたのは街のいたるところに張り巡らされた監視カメラだという。世界には2億5千万台の監視カメラが稼働しているというが、監視されている社会自体がおかしくはないか、これが人類の進歩した姿なのか?
  • 今回の映像全体を通じてアメリカの映像が多かったが、アメリカがスタンダートな時代は終わり、武装解除している国が多いなか、アメリカはむしろいま最も遅れた国とも言える。武器を手放さない、そのことがテロに狙われる原因にもなっているのではないか。原住民を殺戮し、地下資源を略奪して成り立ったアメリカは世界を軍事力によって支配しようとし、日本はそれに加担しようとしている。
  • 6月23日 イギリスは国民投票によってEUを離脱、6月3日 フィリピン大統領にドゥテルテ就任、11月8日 トランプがアメリカ次期大統領に決まる。世界の流れは右傾化と自国の利益を追求する方向へ向かっている。この動きが進展すれば世界は破滅する。そのなかでわたしたちはどう動いていったらいいのだろう? 右傾化し、アメリカ化している日本に危機感を覚える。2013年8月30日に確立された安保法案に反対した人があれほどいたのに、すでに風化されようとしている。TPP、南スーダンの駆けつけ警護、そしてカジノ法案、この国では強行採決が当たり前になってきている。これはある意味一党独裁に近いのではないか。
  • 戦争の足音が近くに聞こえるような気がしてならない。世界の右傾化のなかに日本も確実に入ってきている。このままエネルギー消費が進むなどの状況が続くと、地球そのものが破壊され、人類だけでなく地球上の生物全体がおかしくなる。人類はそこまでする権利を持っているのか? もう一度わたしたち人類にとって、幸せとはいったいなんなのかを考え直さなくてはいけない。いつの間にかアメリカスタンダートになって、お金をどれだけ持っているかが幸せの原点になっているが、自分にとっての幸せとは何か? と考えたとき、お金の問題ではないことがたくさんある。人間とはいったい何であり、この『新・映像の世紀』を通じて、私たちは何を考えねばならないのか、何を失っているのか、それを考える契機になればと思います。

質疑応答の一部

イラク戦争でフセイン像が倒される映像が象徴的に流れたが、それは市民の大きな動きではなく、そこには実は一部の人しかいなかった、ということがわかる映像を見た。それがニュース映像であったとしても、映像というのは客観の顔をした主観であると知った。一般が得られる情報はテレビや新聞がメインだが、どこに注意して見ればいいのか?

足元から物事を考えることが大切です。自分が当事者になることを意識し、自分に置き換えてみる。自分自身が責任をもって行動するとき 、どう考えるかを基準にすればよいでしょう。

韓国では大きなデモが続いているが、日本でも同じ状況が起こるか?

残念ながら考えにくい。かつては大学生が使命感を持って活動していた時代があったが、これだけ強行採決がなされていても、誰も反論しないのが日本の現実。

歴史を学ぶ場に若者がいないと感じる。日本の教育では近現代史を教えていない。先生すら学んでいない。このままではその時代をまともに教えられる人がいなくなるのではと感じる。

大学生が歴史を知らないのは、日本の社会がそう仕向けてきたことによる。思考停止に追いやって歴史教育の偏りに疑問さえ抱かせない状況を作ってきている。《記録:松本(照)》

6回講座『歴史から学ぼう』を終えて

6回連続講座は、信州自遊塾として初めての試みでしたが、熱心に学ぶ参加者と共に、好評のうちに終えることができました。講師陣にも恵まれ、信大の久保教授、大串准教授の講義は、欧米に偏りがちな映像の内容に、国内や中国・朝鮮半島などにも目を向け講義していただき、幅広い視点で歴史を考えることができました。また、第1回と最終の第6回を担当していただいた歴史家、県立歴史館の笹本館長には、「人間とは何か?」「人間の生き方とは?」の問いかけと共に、講座に深みを与えていただきました。

『歴史から学ぼう』の講座から何を学んだのかと振り返ると、“人間の生き方・在り方”ではなかったかと思います。富や権力、支配への人間の欲望。未来を先導者にゆだねてしまう人間の怠慢。湧き上がる感情に流されてしまう人間の弱さ…。人間の過ちとその結果を見つめました。その上で、歴史とは自分の足元に何があるのか理解し、自ら考える力を養うためのものと、笹本先生は言われました。また、撮影者は意図するものを伝えようとしている、映像が事実とは限らない。マスコミや報道を含め、冷静さと批判的な目を養うことが大事と、先生方は声を揃えるように言われました。

「私たちはなぜこのような世界に生きているのか? これからどこへ向かうのか?」第1集から6集の中で繰り返し流れる問いかけ。学校教育で、ほとんど掘り下げられる機会のない近現代史を、映像の視聴と講義を組み合わせることで、認識を深め、その一端を理解することもできたように思います。参加者からの感想には、これからの日本や世界を憂う声が多く寄せられました。歴史の最先端に生きる私たちが、“どんな価値観で何を選択していくのか” を考え、 自ら動き始めることを願います。参加者の皆さま方、講師の先生方、ありがとうございました。《まとめ:くぼた》


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