約100年前に発明された、小型のムービーカメラ。格好の被写体は“戦争”だった。戦争は動く映像として記録され、何度でも再現される。人類が蓄積した膨大な“記憶”を、6回に渡り追体験するNHKスペシャル『新・映像の世紀』は、「映像から読み取れる人々の経験と知恵は、今を生きる私たちの、確かな道しるべになるだろう」と結んでいる。信州自遊塾として想いを同じくし、今回の講座を企画しました。
参加者:36名
パリ万博に湧く平和な欧州が一転、1914年オーストリア皇太子夫妻が殺害されたサラエボ事件をきっかけに、英・仏・露VS独・オーストリア・オスマン帝国を中心に戦争が始まった。理性を失った国家間の手段を選ばぬ殺し合いや謀略、国家や資本家の欲望など、第1次大戦期を様々な角度から描かれている。
日本の戦国時代が専門の笹本先生ですが「人間とはいったい何なのか?」という、意外な切り口で話をされました。映像の“記録と記憶”では、「人間はなぜ記憶しなければならないのか?」という問いかけを。情報と記憶を握った者が権力をつかむ。現代において、大学入試で記憶力は試されるが、人格や人間性のチェックは行われない。情報によって我々は白痴化している。情報は与えられるもの、真実は流さない。3.11の原発事故がいい例、国民は何も知らされず、フランスの方が知っていた。「人間の使命は想像力を働かせること」、流れる情報の裏を想像してみると…。
戦争は、個人がやれば犯罪行為でも、国家が行えば、勝利者が正義。戦国にロマンを感じるのは何なのか? 戦国時代の戦争の実態や悲惨さは語られない。NHK大河ドラマは、戦国ものか明治ものなのは、どうしてなのか?「人間はなぜ、戦いを続けなければならないのか?」と。
人類という種“人間”について、地球から見れば人類はいない方が良い。人類は種として問題があるのではないか? 我々は進歩していない。人間の弱さを自覚すべき。
社会において、「人は人としてどう行動し、どう責任を取らねばならないのか?」「大人は大人の責任を取っているのか?」歯止めを、もう一度考えなければいけないと語られました。
すぐに答えが出ない哲学的な問いかけと、答えの糸口を探るようなお話は刺激的で、時間を忘れて聞き入りました。参加者からは、「弥生人は難民なのか?」や、「信州人は閉鎖的ではないか?」など、多くの質問があり、松本人・信州人・日本人・地球人…視点の距離感で感じ方は違う。価値観が多様であることを受け入れる社会が大切。他人を受け入れる要素を見せてやらないと、そういう大人になる。と、昨年まで信大副学長だった先生の、教育への想いも伺えました。
参加者からは、「興味深い内容で、考えさせられた」といった声が多く寄せられました。《記録:くぼた》
参加者:31名
第1次大戦終戦(1918)から第2次大戦開戦(1939)までの約20年間、未曾有の好景気に沸くアメリカ。巨大財閥「グレートファミリー」の資本主義による富と欲望。アメリカを中心に、大量生産・大量消費社会の到来から世界大恐慌までが描かれている。
ロックフェラーセンタービル
デュポン…火薬メーカー、1次大戦の火薬の40%を供給。火薬の原料から、合成ゴム・プラスチック製品を開発。(レーヨン:絹の代替品・セロファン:包み紙の進化・ナイロン:ストッキング)
中国近代史がご専門の久保先生は、今回の映像の大事な点、訂正したい部分などをまとめ、歴史をひも解くように、編集の批判を交えて話しをされました。
講義を終えて、「映像は誰が編集するかによって、視点が変わってくる。単純に信じてしまうのは危険」と、塾長。久保先生には、当時の日本と中国の関係や、日本の中国侵略など、専門の中国近代史について多くの質問があり、平和を模索しながらも軍拡に進んで行った背景など、膨大な知識を基に丁寧に説明されました。
また、ロシア革命→社会主義へ移行した背景と、社会主義本来の理念。他国には干渉しないというスタンスだった当時のアメリカは、植民地を持つ欧州とは対照的だったなど、世界においても幅広く話された上で、「今のように平和な状況にあっても、戦争になる可能性はいつもある。例えば、尖閣で偶発的な衝突が起きたとき、日本の世論、中国の世論がどうなるのか…、戦争への道は1本道ではない」と語りました。参加者からは、「難しいけど面白かった」という声が聞かれました。 《記録:くぼた・宮脇》
参加者:33名
独裁者ヒトラーの台頭(1923年)。なぜ人々は独裁者を迎え入れたのか?なぜ世界は独裁者を止められなかったのか?参戦国50カ国、5000万を超える人々が犠牲となった第二次世界大戦は一人の独裁者の狂気が生み出したものではない。大恐慌で資本主義に幻滅した人々はファシズムを支持し、世界中の企業がナチスを支援した。破壊と殺戮の第二次世界大戦。独裁者に未来を託し、世界を地獄に追い込んでしまった人々の物語。
アウシュビッツ収容所
1933年ナチスは全権委任法制定、独裁政権誕生。市民に労働、夢を与え、経済成長していくことで圧倒的な支持を集める。ニュルンベルク法制定、ユダヤ人の迫害始まる。第一次大戦後の取り決めを無視して領土拡大のため軍備増強。
映像はドイツを中心に描かれていましたが、世界の動きの中で中国を見て来られた久保先生(中国近現代史専門)は、それに伴う日本や中国などの動きについても語られ、広い視野で歴史を見直し、考えることができました。
「ヒトラーはある日突然、「独裁者」として現れたのではない、民主的な選挙によって選ばれた」という事実を改めて考えさせられました。ヒトラーの独裁を許した全権委任法も国会を通して制定された。その背景には経済発展さえ進んでいれば独裁もユダヤ人排斥も認めたドイツ国民の判断があった。これは現代の日本社会でも教訓にすべきことではないかと考えさせられる講座でした
講座終了後、参加者から「“時代は独裁者を求めた”ではなく“時代が独裁者を作った”と思う。そういうものを生み出さない時代を作るにはどうすればいいのか」、「教科書では学べない視点で知識が深まった」、「戦争はどうやってなくすことができるのか、草の根から大きな力にならないと」などの思いが寄せられ、多くの映像を見て、先生の講義を受けるスタイルの講座は大変わかりやすいという声が多かった。《記録:松本(照)》
参加者:32名
東西冷戦の構図
資本主義のアメリカ、社会主義のソビエト。アメリカの諜報機関CIA、ソビエトの秘密警察KGB。冷戦時代、両国は激しいスパイ合戦を繰り広げた。 東独の秘密警察シュタージが行った諜報活動は、夫婦がお互いに監視、親しい隣人を盗撮させた。一方、アメリカのFBIも盗聴、家宅侵入、脅迫などで共産主義者の摘発(赤狩り)を行った。
冷戦終結から25年、情報公開により見えてきた舞台裏の全貌。CIAとKGB、FBIやシュタージ。世界を秘密と嘘が覆った。核戦争という破局に怯えた狂気の時代を、スパイ戦という視点から描く。21世紀のいま、世界各地で吹き出している憎しみを生んだ、秘密と嘘の時代。
1962.10.25 朝日新聞朝刊
東西対立の最前線、ベルリンで1961年、市民の西側への逃亡を防ぐため壁が築かれる。旧東ドイツ秘密警察シュタージは西側と通じる者を厳重に監視。密告を奨励し、市民の人間関係や心を破壊した。
ウサマ・ビン・ラディン
暗殺されたケネディに代わって大統領となったジョンソンは北ベトナムへ大量の軍を送り、空爆を開始。南でも、共産主義や北に通じる疑いのある民間人を拷問、虐殺、村を焼払った。南でもアメリカへの憎しみが拡大していった。国内の反戦運動指導者、公民権運動にも圧力をかける。ベトナム戦争終結後、ソビエトはアフガニスタン侵攻。対するイスラムゲリラにアメリカは最新兵器を提供・訓練した。訓練を受けた中に、その後アメリカで起きた9.11同時多発テロを首謀したビン・ラディンもいた。
「『冷戦』をどう見るか?」というタイトルでお話し頂きました。
先生の専門でもある、冷戦下の日本についてもう少し教えて欲しい。
1948年の韓国済州島四・三事件(反共政権による島民虐殺事件)の流れで、翌年、松川・三鷹・下山事件などを、占領下のGHQが起こした可能性がある。 近年、GHQの記録は公開されるようになったが、まだ軍や諜報機関の記録は公開されず、闇の中のことが多い。
今の学生は、「情報」に対する自分の意見をあまり言わないのでは?
SNSやネットは、大量の情報がフラットに存在し、 難しい。SNSは「つながる」ための場所で、異論 を言うと炎上しがちで、議論の場になりにくい。
参加者の感想にもありましたが、冷戦下の大国の陰謀のすさまじさを思い知らされると共に、現代も形は違うものの、「情報・諜報」の怖さや重要性を学ぶ時間 になりました。《記録:松尾》
参加者:27名
ウッドストック・フェスティバル
1960年代末、既存の政治体制にNOを突きつける若者たちの反乱が、まるで示し合わせたかのように、同時多発的に巻き起こった。西側で上がったのは、ベトナム戦争反対の声だった。アメリカ・フランス・ドイツ・日本、そして東側でも、自由と民主化を求める声が沸き上がった。若者たちを団結させたのは、テレビだった。衛星中継が実用化され、東西の壁を越え、あらゆる出来事が世界に瞬時に伝わるようになっていた。
大戦後のベビーブーム世代による爆発的なエネルギーは、それまでの価値観を壊し、カウンターカルチャーと呼ばれる新たな文化を生み出した。激動の1960年代、世界で連鎖的に巻き起こった、若者たちの反乱の時代を見つめる。
チェ・ゲバラ
1967年6月、史上初の国際衛生中継が世界24カ国で同時に放送された。人々は世界が確かに繋がっていることを実感した。
テレビに映し出されたベトナム戦争を、世界が目撃。やがてアメリカで起こった反戦運動は、世界に飛び火した。若者たちは、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラや、中華人民共和国を建国した毛沢東の肖像を掲げて反乱を起こした。1968年には、パリ五月革命、新宿騒乱、アメリカの黒人暴動、ロンドンでも学生による暴動が起こり、その中にはスティーブン・ホーキング(理論物理学者)や、ミック・ジャガーの姿もあった。
ベルリンの壁1961~1989左が東側、右が西側
西側で巻き起こった反乱は東側にも伝わっていた。報道と言論の自由を獲得したプラハの春。その後、ソビエトによる弾圧に市民は非武装で立ち向かった。その様子を世界が見守った。弾圧を逃れながら、放送を続けるラジオ局から市民にメッセージを発し続けた劇作家バーツラフ・ハベルは、その後、ビロード革命を経て生まれた新生チェコスロバキアの大統領に就任する。
1989.11.9ベルリンの壁崩壊
1987年6月、西ベルリン側の壁の前でデビッド・ボウイが野外ライブを行う。その声は壁の向こう側にも届き、5千人もの人が集まった。その二年後、自由を求めるエネルギーは爆発し、東西を分断していたベルリンの壁がつき崩された。
プラハでは民主化を求める学生デモが20万人の大集会へと発展、社会主義政権を打倒した(流血なしに成し遂げられた“ビロード革命”)。東ヨーロッパの社会主義政権はドミノ倒しのように崩れていった。
「『1968』をどう見るか?」というタイトルでお話し頂きました。
・なぜ学生が同時に反乱を起こしたのか? ・なぜ連鎖したのか? ・何に対する反乱なのか? …と問題提起し、起きている現象の奥を深めて考えてほしいと投げかけられました。今回のテーマは、前回にも増して「同世代史」である。当時、自分は何をしていたのか、社会の出来事がどう自分に影響していたのか…。そこから見つめると、見えるものがあるかもしれないと話されました。
東の三里塚、西の水俣が問いかけるものは何だったのか? 三里塚は、生き方としての農と自然と土地。水俣は、人間として生きる、働くとは何か? を問うているのではないかと、当時を語る書物や史料、年表を引用しながら、社会的背景、当事者の心情などを話されました。日本の1968年では、学生運動、沖縄の1968、明治100年反対運動など。若者の反乱と一括りに語ることはできない。学生たちは何を問うたのか? 何に対する問いかけだったのか? 皆さんから話を聞いてみたいと締めくくられました。
講義を受けて塾長は、「三里塚も当初は大きな話題になったが、過激な“武装闘争”を行う全共闘系全学連と一部の農民の戦いは孤立した。水俣もまた問題点を意識している人は一定数いただろうが、社会的な大運動になっていたわけではない。文献として論じたものが残ると、歴史的にはそれが時代の中心だったように位置づけられる」と見解を語り、また、「1968年、私は高校三年生で学生紛争を目の当たりにしてきた。三里塚(成田)闘争と水俣がこの時代を象徴するということに違和感がある。当時の東京の大学生や高校生の中で“大学紛争”に参加していた人は決して大多数ではなかった。テレビなどで取り上げられたために、多くの学生が参加していたように思われがちだが、大半の学生は、ベトナム戦争や大学紛争の問題について考えてはいたが、行動を起こすところまでいく人はその中の一部だった」と、当時を振り返りました。
大串先生からは、現代の若い人の問題点として「SNSなどのコミュニケーションでは論議をすることがない。争いを好まないために、政治的話題は避ける」ことを挙げ、「個の確立が弱いのではないか。欧米人は議論をすることが多くある。相手の意見を聞き、自己の意見を言う。自分でものを考え、発言するようになることが大切ではないか」などの意見が交わされました。
参加者からは、「松本市では、信大には立て看板があった。高校では、深志高校では少し動きがあったが、私立高校などでは動きはなかった」など、当時の県内のようすや、新宿騒乱や水俣の運動に関わった実体験 などが語られたほか、「後世代生まれの自分には、この世代の人の感覚に違和感を持つことがある…」など世 代間のギャップを感じさせる発言もありました。《記録:くぼた》
参加者:32名
21世紀、誰もが撮影者、誰もが発信者となり、あらゆるものが映像化される新たな映像の世紀の到来。それは世界を引き裂き、底知れない憎悪を生み出す半面、時空を超えて世界をつなぎ、喜び・悲しみ・痛みを分かち合う。映像は今、世界を動かす巨大なパワーを持った。最終回では、「映像が生まれてから100年余り、膨大な記憶を蓄積してきた人類は、これからどんな記憶を紡いでいくのだろう」と、結んでいる。
チュニジアの一人の青年が投稿した映像が、革命にまで結びついた。投稿から1カ月足らずでチュニジア政府は転覆、革命の動きはアラブ全土へと連鎖した(アラブの春)。“アラブの春”は独裁政権に抑え込まれていた勢力を解き放ち、リビアやシリアでは内戦に変わっていった。
2016年、シリアホムスの廃墟の映像。国民の半数が難民に。過激派組織ISは、絶望した若者たちを飲み込んで、膨れ上がっていった。
今回の講義にあたり繰り返し映像をご覧になったという笹本さんは、映像を見るなかで感じたことを率直に語り、大きな視点に立って、わたしたちが見落としてはならないこと、忘れてはいけないことを提示し、人としての生き方や、地球上に生きる生物としてのあり方についての示唆や問いかけで、6回シリーズの講座を締めくくられました。
イラク戦争でフセイン像が倒される映像が象徴的に流れたが、それは市民の大きな動きではなく、そこには実は一部の人しかいなかった、ということがわかる映像を見た。それがニュース映像であったとしても、映像というのは客観の顔をした主観であると知った。一般が得られる情報はテレビや新聞がメインだが、どこに注意して見ればいいのか?
足元から物事を考えることが大切です。自分が当事者になることを意識し、自分に置き換えてみる。自分自身が責任をもって行動するとき 、どう考えるかを基準にすればよいでしょう。
韓国では大きなデモが続いているが、日本でも同じ状況が起こるか?
残念ながら考えにくい。かつては大学生が使命感を持って活動していた時代があったが、これだけ強行採決がなされていても、誰も反論しないのが日本の現実。
歴史を学ぶ場に若者がいないと感じる。日本の教育では近現代史を教えていない。先生すら学んでいない。このままではその時代をまともに教えられる人がいなくなるのではと感じる。
大学生が歴史を知らないのは、日本の社会がそう仕向けてきたことによる。思考停止に追いやって歴史教育の偏りに疑問さえ抱かせない状況を作ってきている。《記録:松本(照)》
6回連続講座は、信州自遊塾として初めての試みでしたが、熱心に学ぶ参加者と共に、好評のうちに終えることができました。講師陣にも恵まれ、信大の久保教授、大串准教授の講義は、欧米に偏りがちな映像の内容に、国内や中国・朝鮮半島などにも目を向け講義していただき、幅広い視点で歴史を考えることができました。また、第1回と最終の第6回を担当していただいた歴史家、県立歴史館の笹本館長には、「人間とは何か?」「人間の生き方とは?」の問いかけと共に、講座に深みを与えていただきました。
『歴史から学ぼう』の講座から何を学んだのかと振り返ると、“人間の生き方・在り方”ではなかったかと思います。富や権力、支配への人間の欲望。未来を先導者にゆだねてしまう人間の怠慢。湧き上がる感情に流されてしまう人間の弱さ…。人間の過ちとその結果を見つめました。その上で、歴史とは自分の足元に何があるのか理解し、自ら考える力を養うためのものと、笹本先生は言われました。また、撮影者は意図するものを伝えようとしている、映像が事実とは限らない。マスコミや報道を含め、冷静さと批判的な目を養うことが大事と、先生方は声を揃えるように言われました。
「私たちはなぜこのような世界に生きているのか? これからどこへ向かうのか?」第1集から6集の中で繰り返し流れる問いかけ。学校教育で、ほとんど掘り下げられる機会のない近現代史を、映像の視聴と講義を組み合わせることで、認識を深め、その一端を理解することもできたように思います。参加者からの感想には、これからの日本や世界を憂う声が多く寄せられました。歴史の最先端に生きる私たちが、“どんな価値観で何を選択していくのか” を考え、 自ら動き始めることを願います。参加者の皆さま方、講師の先生方、ありがとうございました。《まとめ:くぼた》