【2026年6月6日(土) 松本市勤労者福祉センター 参加者105名】
中東での戦争。それは私たちには遠い出来事ではありません。
たとえばガソリンをはじめ物価が上がる。ただ戦争の本質は別のところにあります。おびただしい数の人が殺害され傷つけられている。家も学校も病院も破壊され続けている。国際政治や経済情勢への影響を論じる前に、戦争の現場のおぞましい現実に思いをはせないわけにはいきません。
その手がかりとして、中東専門ジャーナリストでドキュメンタリー映画「壁の外側と内側 パレスチナ・イスラエル取材記」を製作した川上泰徳氏を招き講演会を開催しました。
米国からの攻撃に対しイランがホルムズ海峡を封鎖したとき、すぐに終わると予想した専門家は多かった。封鎖は石油輸出国のイランにとっても不利益だからと説明された。しかし3ヶ月以上続いている。専門家や米国はイランが中東の大国であり、強固な統治機構を備えた国であることをわかっていなかった。戦争となれば、それを動員して対応する国なのだ。
中東問題の根には、イスラエル・パレスチナ問題がある。2023年のハマスの越境攻撃でイスラエル人1200人が犠牲になった。その報復で始まったイスラエルのパレスチナ攻撃は、2年あまり続き今も終わっていない。
ガザ(人口220万人)では7万人あまりが殺害された。うち2万人あまりが子ども、女性や高齢者なども合わせると8割くらいが非戦闘員。世界の衆人環視の中で続く「ジェノサイド」だ。そんなイスラエルに米国は武器を供与している。ホロコーストという受難の歴史を持つユダヤ人たちが、なぜこんな振る舞いに及ぶのか。これに対し、「ハマスの攻撃が発端、パレスチナ側も悪い」という声は多い。実態はどうか。
たとえばヨルダン川西岸地区占領地で、イスラエルは何をしているか。ユダヤ人入植地を拡大し、もともと住んでいたパレスチナ人たちの住宅や学校を破壊し、追い出そうとしている(映画の一部を紹介しながら説明)。その一方で、占領地の周囲に高い壁をめぐらせてパレスチナの人々を封じ込めて監視している。全長700キロ。
しかし実は、壁の内側にいるのはむしろイスラエル人たちの方ではないだろうか。占領地での日常的な破壊
は、イスラエルで一切報じられない。パレスチナ側の反撃でイスラエル人に犠牲が出て初めてニュースになる。イスラエルで、政権批判のデモはある。しかし、それはハマスにとらわれている人質解放を求めるためであって、ガザでのおびただしい犠牲は視野にない。まず知らされない。情報が流れても嘘だと政府はいう。市民たちも、自国がそんなひどいことをしているとは信じたくない。自分たちの信じたいことしか流れない言論状況が支配する。危険な状況だ。
これはイスラエルだけの問題だろうか。自国がおかしなこと、許されないことをしても、国民は信じたがらない、知りたがらない。信じたいことだけを信じられるような情報環境を、ネットがさらに強化する。「壁の内側」状況だ。外側には危険な者がいて、脅かしているという認識。日本でもたとえば、外国人を怖いものとして壁の外側に置こうとする動きがある。イスラエルだけの問題ではない。
ホルムズ海峡封鎖について、AIも「早期に解除される」という楽観的な見通しだった。平時の合理性でしか判断しないからだ。攻撃初日に最高指導者や多くの子どもたちを殺害され、戦時下に入ったイラン社会の行動や価値観の変化を実感できない。AIは、未知の状況を考えるすべを持たない。それは人間にしかできない。
第二次大戦で日本は焼け野原となった。それは今のガザやイランと重なる。80年前の日本で起きたことが、ガザで今起きている。その悲劇を私たちは、自分たちの経験とつなげて考えているだろうか。イスラエルのガザ攻撃を当初支持した英国やフランスでは、それに抗議する数十万人規模のデモがあった。しかし、日本ではそうはならなかった。日本で、戦争の記憶は風化している。問題意識さえも風化させてしまっている。過去をただの記録として認識し、実感しないなら、私たちはAIと同じだ。
大野さん: 私は国際報道が中心で、湾岸戦争やユーゴスラビア紛争の空爆下のベオグラードなどを取材しました。川上さんの話を聞いて共通すると感じたのは、「物語(壁の内側)」がもたらす危うさです。多民族国家だったユーゴスラビアの避難民は、「以前は民族や宗教の違いなど関係なく付き合っていたのに、すっかりおかしくなった」と嘆いていました。権力を握りたい政治指導者たちが民族や宗教をテーマにした物語を作り、「私たち」と「あいつら」を分断したのです。「自分がしんどいのはあいつらのせいだ」という言説が振りまかれると、人々は物語の壁の内側にはまり込み、あらゆる事象を「〇〇族だからだ」と説明するようになります。また、「戦争は合理性だけでは決まらない」という点も同感です。現地で独裁者ミロシェビッチが大嫌いだという老人に会いましたが、「あんな奴は嫌いだが、国がこんな目に遭わされたら黙っていられない」と言いました。戦争が始まった途端、人々の思考は頑なになり、合理性を超えて動きます。
この「壁の内側」にいるのはイスラエル人だけではありません。日本にいる私たちも同様です。自分の物語を相対化し、その反証を常に探す態度で生きなければ、本当のことは見えてきません。

塾長:ベトナム戦争の時は無差別爆撃に対し、世界中で巨大な反戦運動が生まれました。今回はガザの状況がより可視化されているにもかかわらず、なぜ世界的な大きなうねりにならないのでしょうか。
大野さん:「見える戦争」ですが、ネット空間にいる限り、見たくないものは見なくて済むからです。新聞やテレビなどのオールドメディアは、単なる情報伝達だけでなく、「同じ社会に生き、課題を共有している」という意識を日々のニュースを通じて更新する役割を果たしていました。しかしネット社会では、それぞれがバラバラの世界を見ています。同じ国に暮らしながら全く違う風景を見ているため、見る意思がなければ戦争の現実を見ないで済んでしまう。情報が流れる仕組みそのものが変化したと感じます。
川上さん:今の若者はテレビもニュースも見ず、世の中の出来事に関心がない人がほとんどです。私が大学で難民問題を扱うときは、「世界で何が起きているか」ではなく「これって自分の周りにありませんか?」と、自身の体験と結びつけてレポートを書かせます。「知らない学校に転校してドキドキした経験」や「被災して家が壊れた経験」でもいい。
現代社会は実感を排し、情報だけを処理する「AI化」が進んでいます。情報を比較するだけでは実感は湧きません。社会の出来事と自分の体験を結びつけることで初めて、ガザの過酷さが「自分のこと」として想像できるようになります。
Aさん:川上監督は検問所などでカメラを隠さずに撮影していましたが、危険はなかったのですか。また、パレスチナ問題の起源を2000年前のユダヤ王国まで遡る議論をどう捉えればよいでしょうか。
川上さん:平気な顔で撮っていると相手も止めにくい心理があります。グリップをつけたiPhoneで堂々と撮影しており、大掛かりな機材ではないため抵抗感が小さく、日本人であることも手伝って止められることはありませんでした。隠し撮りは一切していません。歴史の問題ですが、パレスチナ問題を2000年前の歴史に結びつけるのは適切ではありません。イスラエルの歴史教授の著書『作られたユダヤ人』によれば、ユダヤ人が一斉に土地を追われたという記録はなく、民衆は現地に残り改宗していきました。血縁的には現在のガザの人々の方が、2000年前の住民とのつながりが強いと言えます。重要なのは、19世紀末から20世紀初頭のイギリス統治前まで、アラブ人とユダヤ人が区別なくアラビア語で共生していたという政治的事実です。そこに宗教対立はありませんでした。「土地の起源」というストーリー(物語の壁)が作られたことで、後発的に紛争が生まれたのです。
Bさん:シドニー在住ですが、現地では「フリーパレスチナ」のデモと同時にユダヤ人施設への嫌がらせも多発し、対立がエスカレートしています。話し合いの仕組みは可能でしょうか。
川上さん:アラブ側も壁を作れば分断が深まるだけです。日本で「イスラム教徒が怖い」という人に、私は「理解しようとしなくていい」と答えています。大切なのは理解ではなく、日常の交流の機会を作ることです。映画のイスラエル人も、パレスチナ人と友達になってお茶を飲むという日常の共有から始めています。意識的に動かなければ、壁はどんどん作られてしまいます。

大野さん:排除を叫ぶ人が恐れているのは、「本物のユダヤ人や移民」ではなく、自分が作り出した「想像上の恐怖」です。ドイツで移民排斥運動が激しかった街は、実は国内で最も移民が少ない場所でした。川上さんが言うように友達を作れば普通の人間だと分かります。コンタクトポイント(接触点)を増やすことが何より大切です。
Cさん:なぜイスラエルはイランをこれほど敵視するのか。また、イスラエルの核保有が国際的に不問にされているのはなぜか。エマニュエル・トッド氏の「イランが核を持てば相互抑止で中東は安定する」という主張をどう考えますか。
川上さん:イランが常に「イスラエル抹殺」を唱えているわけではなく、米イスラエル側の宣伝で好戦的イメージが強調されています。今回のガザ攻撃でもイランやヒズボラは当初自制しており、彼らの攻撃はあくまでイスラエルへの報復です。どちらが攻撃的かといえばイスラエル側です。イスラエルの核は国際的に認められたものではありませんが、米国の同盟国であるために不問にされてきました。しかし、トランプ氏が前例に囚われずにイランの濃縮ウラン廃棄を求め始めたことで、今後は「ではイスラエルの核はどうなるのか」という議論が避けて通れなくなるでしょう。
大野さん:トッド氏の議論は、彼特有のシニカルな恐怖の均衡論です。彼は日本に対しても、トラブルメーカーとなった米国依存を脱して自立するために核を保有すべきだと主張しています。そのまま納得しているわけではありませんが、日本にはない視点として議論の刺激になります。
Dさん:もしイスラエルの総選挙でネタニヤフ政権が敗れ、左派政権が誕生した場合、パレスチナ政策や対イラン政策は劇的に変わるでしょうか。
川上さん:全く変わりません。現在、イスラエル国内に有力な左派勢力はほとんど存在せず、ネタニヤフ氏の対立候補も同等の右派です。政権が変わっても強硬路線が変わることはないという残念な現実があります。
塾長:壁の内側と外側の問題は、日本の移民問題や武器輸出、核の抑止力議論とも直結する、まさに私たち自身の問題です。唯一の被爆国としてどう生きるか。世界で起きている問題を自分と結びつけ、対話と実感を広げていく姿勢を、今日の議論を通して改めて考えていきたいと思います。