【2025年11月8日(日) 松本市中央公民館Mウイング6階ホール 参加者約51名】
第1部は、大分大学准教授の志賀信夫さんに講演いただきました。
志賀さんは、一橋大学社会学研究科博士後期課程を修了された、社会学博士です。専門は、貧困理論、社会政策。「貧困とは何か」について研究しながら、NPO法人「結い」の理事や「いのちのとりで」裁判で意見書を執筆されるなどの活動をされています。
第2部では松本でこども食堂等を運営されているNPO「ホットライン信州」の青木正照さんに登壇いただき、講師を交えてフリーディスカッションを行いました。

貧困対策を考える際、まず大切なのは「貧困とは何か」という定義を明確にすることです。定義が人によって違うと、必要な対策も変わってしまうからです。貧困の定義は、「放置しておけない生活状態(あってはならない状態)」を指しますが、この基準は歴史や市民運動の影響を受けて変化してきました。
例えば、イギリスでは市民運動が活発で議論が進んでいるため、日本よりも高い水準で貧困が捉えられています。一方、日本では「食べられないこと」だけを貧困と思いがちですが、社会が寛容で連帯が強ければ貧困の基準(許されないライン)は高くなり、逆に社会がバラバラだと基準は低くなってしまいます。
貧困対策の基本は「最低限度の平等」を目指すことであり、行き過ぎた格差を「容認できる範囲」まで戻すことが重要です。
貧困の定義は、時代とともに以下のように変わってきました。
幸福度ランキングで北欧が高いのは、幸福を追求するための社会的条件が整っているからです。
「自由」とは、実質的に選べる選択肢がある状態のこと。そして、それを社会のルールとして約束したものが「権利」です。歴史を振り返ると、かつて一部の権力者が独占していた自由を、人々が連帯して勝ち取り、すべての人に保障される「権利」へと変えてきました。
この自由や権利が守られていると言えるためには、以下の3つが必要です。
日本では2013年から生活保護基準の引き下げが行われましたが、これに対して全国で裁判が起きています。名古屋地裁の判決では、「受給者の6〜7割が3食食べられているから問題ない」とされましたが、これは逆に言えば「3〜4割の人が食べられていない状態」を容認したことになります。単に食事が摂れればよいというのは家畜と同じ扱いです。人間には、健康のための食事や人付き合いなどの社会参加のための食事(人間らしい生活)が必要です。名古屋高裁ではこの点が認められ、判決が覆りました。
私(講師)自身、貧しい家庭で育ち、奨学金という多額の借金を背負いました。これは意味のない苦労であると私は考えています。
今の日本では、教育や医療など、生きていく上で不可欠なものが高額な商品となり、人々を借金漬けにしています。
貧困をなくすためには、人間の生活にどうしても必要なものを、高額な商品にしないような社会の仕組みづくりが必要だと考えています
「信州子ども食堂ネットワーク」は、みんなで食事をする「共食」や「食育」を大切にしながら、子どもの居場所づくりに取り組んでいます。現在、長野県内には約210か所の子ども食堂があり、大規模なイベントでは3,000食を用意するなど、活動の輪が広がっています。
単にご飯を食べる場所というだけでなく、「町のプラットフォーム」になることを目指して、主に以下の3つの活動を行っています。
「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」というILO宣言の精神に基づき、「困っている人を助けるのは当たり前」という意識を大切にしています。しかし現実には、行政窓口で申請をさせてもらえない「水際作戦」のような対応が依然として見受けられるのが課題です。
物価高などの影響で、SOSの件数は増えています。最近は30〜40代からの相談が多く、幼少期の家庭環境などに起因する「心の病(心の貧困)」を抱えているケースが目立ちます。
心の孤立は最悪の場合、自殺や犯罪につながる恐れがあるため、単なる食料支援だけでなく、一緒に食事をすることで「居場所」と「心のケア」を提供することが不可欠です
来場者からの質問(以下Q):政府の対応や人権への姿勢についてどう思いますか?
志賀さん: 本来あるべき三権分立が十分に機能していない現状があります。国の会議が体制寄りの意見に偏りがちなことに対し、現場からは強く異議が唱えられています。また、日本には個人が人権侵害を国際機関に通報できる制度が整っていません。これを国際水準に引き上げるよう要求し続けることが大切です。
資本主義の中で貧困を減らすためのロードマップは? ベーシックインカム(BI)については?
志賀さん: まずは、医療・介護・教育など、生活に必要なサービスを無料または安価で使えるようにする「ベーシックサービス」から始める必要があります。竹中平蔵氏などが提案したベーシックインカムは、現金を配る代わりに他の社会保障を削る恐れがあり、それでは「自由の格差」は埋まりません。目の前の不正義を一つずつ正し、地域で経済を回す仕組みを作ることが、結果として資本主義を超える社会につながるかもしれません。
なぜ日本ではベーシックサービスが進まないのでしょうか?
志賀さん: 一番の原因は社会の「連帯」が弱いことです。研究者と地域の人々が「貧困とは何か」「助け合いとは何か」を一緒に考える機会が少なかったことも要因の一つでしょう。
人権問題や理念を考えたときに理想の社会をどう描けばよいでしょうか?
志賀さん: かつて大人は理想を語りませんでしたが、今はあえて「あるべき社会」を恥ずかしがらずに語ることが、若い人の心を動かすのではないかと考えています。
青木さん: 最も危惧すべきは「精神的な貧困」です。心の病を持つ人へのケアや、その人の尊厳を大切にする人権感覚が必要です。
「貧困」と昔の「貧乏」の違いは何ですか?
志賀さん:昔の「貧乏」は、お金はなくても人とのつながりがありました。しかし現代の「貧困」は、お金がないと生活が成り立たず、結果として人間関係も断たれ「孤立・孤独」になってしまう点に違いがあります。だからこそ、食事だけでなく社会参加の保障が重要なのです。
世代間の分断を乗り越え、連帯するには?
志賀さん: 現在の貧困対策が「投資」として捉えられていることが問題です。「投資」はリターンが見込める若者に向きがちで、高齢者が置き去りにされ、分断が生まれます。損得勘定の「投資」ではなく、誰もが持つ「権利」としてアプローチすることが必要です。
なぜこれほど貧困が増えたのでしょうか?
志賀さん: 資本主義が成熟し、企業の利益率を上げるために労働コスト(賃金など)が削られるようになったからです。かつて「一億総中流」と言われた日本ですが、経済成長を取り戻すための規制緩和や社会保障の削減が行われ、生活が苦しくなりました。今は国内で弱い立場の人からの搾取が進んでいる状態と言えます
世界が様々な問題を抱える中、私たちは改めて「人間とは何か」「平等とは何か」という根本的な問いに向き合う必要があります。
(記録:川村)