【2023年9/30(土) 松本市中央公民館Mウイング 6階大ホール】
スリランカ人のウィシュマさんが名古屋入管施設収容中に適切な医療を受けられず亡くなったことは記憶に新しいことです。日本では多くの外国人の人権や尊厳が守られないことが多々あり、その象徴が入管法問題にあります。入管法の奥には多くの潜んでいる問題があります。
日本は、外国人労働者なくして国が成り立たなくなっています。全ての人の人権が、守られなければ次のステップはありません。
難民支援の最前線で活動されている赤阪むつみさん、長野県内の外国人人権問題を取材し続けている記者の井手拓朗さん、そして信大の卒業生でもあり、ミャンマーの軍政に反対して、強制送還されると命の危険もあるティ・ハ・ソーさんの話を聞いて、この問題について考えました。
当日は会場へ56人が集まり、オンラインで35人が参加しました。
岩村医師のネパールでの活動を知り16歳の時国際協力の世界で働く希望を持ち、28歳で日本ボランティアセンターのラオス事務所で活動を始めました。現在は難民支援協会渉外チームマネジャーとして、国会、法務省、入国管理局への意見や改善のための働きかけを行っています。
2022年の難民は、1億840万人で、74人に1人が難民です。2011年シリア内戦の激化により急激に増えました。実は国外に逃れることが出来ない国内避難民の方が圧倒的に多く、緒方貞子国連難民高等弁務官の最大功績は国内避難民を支援対象としたことです。アフリカ・中東諸国は、難民を出すと同時に多くの難民を相互に受け入れています。しかし日本は、先進7カ国の中でも難民受け入れが極端に少ない国です。
なぜ日本はこのような状況なのでしょうか。ロシアによるウクライナ侵攻により、日本にもウクライナ難民がやってきました。日本政府は、ウクライナ難民を震災で避難してくる人と同様に、避難民として受け入れています。それでは、難民とは何でしょうか。
難民の背景は、内戦や民主化運動の弾圧、イスラム教からの改宗による弾圧(一部の国では改宗が認められていません)、ジェンダーアイデンティティーや同性愛の禁止による弾圧(70ヶ国余が同性愛を法律で禁止している)などがあり、日本は2018年からジェンダーアイデンティティーの難民認定を行っています。しかし、他国より20年遅れです。
難民条約による定義:人種・宗教・国籍・政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で自国にいると迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れ国際的保護を必要とする人々を難民とする。
この中で特に重要な文は、自国にいると迫害を受ける恐れがあるという部分です。つまり実際に迫害を受ける必要はありません。可能性があるかないかです。アジアでは難民条約締結国は非常に少ないが、日本は条約に締結しています。日本に逃れてくる難民の80%はアフリカ人ですが、日本を目がけて来る訳ではなく最初にビザが取れたところだから来るわけです。選べるならば、言葉が通じる国に行った方が良いのですが。
日本の入管政策の歴史は、1975年にアメリカのベトナムからの撤退によりアメリカ寄りのベトナム人がボートピープルとしてフィリピン経由でアメリカに向かいますが、日本がアメリカの外圧によりボートピープルを受け入れたことに始まります。そして3年後1978年に日本は難民条約を締結しました。そしてこの40年間で8万人の難民申請に対し1,117人の難民を受け入れました。2021年の難民民定数と民定率で、ドイツは38,918人で38.9%の認定率、日本は74人で0.7%、フランスは32,571人で17.5%、アメリカは20,590人で32.2%でした。
1988年ビルマ民主化運動、1989年天安門事件の後、1998年に長野オリンピックが終わり、非正規労働者の排斥が行われました。東京オリンピック後も同様のことが行われました。オリンピック施設の多くが非正規労働者によって建てられたと言われています。
2001年のニューヨーク同時テロで日本はアフガニスタン人難民申請者一斉収容を行いました。2002年中国の瀋陽で北朝鮮人が日本領事館に逃げ込む事件が起きました。
2003年に入管法の改正の動きが起こりました。2004年法改正により送還停止法が成立。難民の理由となった国や地域に送還してはならない(国際難民条約による)とされました。
2013年に安倍政権下で東京オリンピック後の数万人といわれる非正規滞在者の内、大きな部分を占めていたオーバーステイや政府が把握していない非正規滞在者を除く数千人の仮放免者と難民収容者をターゲットとして送還を可能とする通達が2018年に出されました。送還するまで収容できるとするもので、無期限収容と言います。
それ以前は、仮放免を申請すると6ヶ月後に仮放免を得ることができましたが、傷病者が出ないと仮放免が受けられなくなり、3~5年と長期収容されることになり、それに耐えられない人は送還を受け入れざるを得なくなります。送還を拒否する収容者によってハンガーストライキが起こるなかで餓死者が出て、批判が集まりました。
難民申請手続きをするには情報が必要であり、収容されれば母国の情報にアクセスできなくなり手続きが出来ません。再申請を行うにも約4年かかります。天安門事件の民主化運動家は19年かかって3回目の申請により異議申し立て制度によって難民認定を勝ち取りました。
また、申請手続きは弁護士の立ち会いも動画録音も許されず、本人一人で行わなければなりません。このような国は日本だけです。
数千人の仮放免者と収容者を対象に、送還者が増加しています。そのため、収容者送還専門部会を立ち上げました。しかし、そもそも送還されなければならない人々でしょうか。
2023年の入管法改悪の大きな問題点を二つあげます。
難民支援協会では、難民の一人一人の状況に応じて、法律相談、弁護士紹介、滞在場所支援、食糧支援など様々な支援を行っています。日本に来る国別難民70カ国の内62カ国、全体の90%の難民支援を行っています。
難民申請を行った後、許可が下りるまでの6ヶ月間は国家支援がありません。その間、民間支援団体である協会が支えていますが。本来は国家が行うべきことです。
2021年に外国人との共生の現在地をさぐる企画として「五つ色のメビウス」を連載しました。”五つ色”は「多種多様」、”メビウス”は「無限大の希望」。多様性が持つ力を表しました。
扱ったテーマは技能実習生、日系ブラジル人、入管法の問題などで、個人の問題から全体の課題を浮かび上がらせられような企画を考え、半年で80数本と、入菅法の制度についての紹介記事などを、本編の他に扱いました。
県内で働く技能実習生を取材した際、低賃金、長時間労働、日本人労働者との格差に「私たちは奴隷のようだ」と語った人もいました。2020年小諸市で起こった、落雷で実習生が亡くなった事故では、非正規滞在という弱い立場で「公助」から遠のいてしまったという記事も扱いました。また、技能実習生と会社を仲介する送り出し機関などへの取材も行いました。
2021年当時は入管法の改定案が国会へ提出され、ウィシュマさんが亡くなる事件もあり世間で注目されていました。ウィシュマさんは留学生として日本に来て、在留資格が切れて非正規滞在になっていました。恋人からのDV被害から逃れるために交番へ行ったところオーバーステイだと収容されてしまいました。結局、収容も解かれず、仮放免も適用されなかった。
入管庁には運用指針があるが、大半は黒塗りで入管庁の裁量によるところが大きいと感じました。入管法は外からはわかりにくいことから「入管ブラックボックス」というサブタイトルをつけました。
民主化運動にかかわったことで国軍に迫害され日本に逃げてきたミャンマー人は非正規で入国し、警察に捕まって有罪判決を受け、入管に収容されていました。収容されている間に難民申請をして認定され、在留資格を得ました。その詳細な認定理由は説明もされず、難民認定の決め手がいまだにわからない。
非正規滞在者と難民認定者の差はごくわずかなのではないかと感じました。
入管法を読むと「適当」「相当」「特別な事情」など曖昧な文言が多いと感じます。
定住者の父親と非正規滞在の母親のもとで県内で生まれ育った高校生は、非正規入国の母親の子どもということで仮放免(国民健康保険に加入できない、働けない)という状況でした。父親が亡くなり、一家の収入が途絶えてしまったという記事を書いた。するとその記事を見た読者からこの一家への支援がありました。
連載後、読者からの反応は、応援する声がほとんどで、自分が想像していた以上に読者の方が外国人労働者への温かい思いを持っているということがわかりました。
現在、県内には4万人の外国人がいます。異質な他者という扱いではなく、新しい価値観を作っていく隣人のように関わっていけば良い世の中が作れるのではないかと考えています。
2023年の入管法改正では、難民認定申請が2回目まで却下されて3回目以上になった場合、強制送還が可能となりました。日本の難民認定は諸外国と比較して非常に厳しく、認定者は大変少ない状況です。
特定活動ビザは用意されてはいますが、更新できないと帰らなければならない。一時的には救われるが不安を抱えたまま暮らさなければなりません。
2020年、ミャンマーの難民認定は1人でした。国内状況が今のように悪くなかったからということもあるでしょう。
2021年国軍によるクーデター起こって状況が変わり、日本から帰国できない状況になりました。帰ったら拘束される恐れがある。そのような状況になってもその年の認定者は32人。申請者に比べたら圧倒的に少ない。
難民には認定されないが特定活動ビザは得られるという状況はありますが、更新されずに帰らざるを得ない(強制送還)となった場合、その人たちはどうなるのか?
国軍によるクーデターが起きた2021年2月から今まで危険な状況が続いています。イギリスの外務省が出したミャンマーの危険状況によると国内のほとんどの地域が渡航中止”危険エリア”とされている。昔から内戦が激しい地域はあり、そこは変わらないが、クーデターが起こってから、国軍と、国家統一政府(NUG)が設立した国民防衛隊(PDF)との闘いが各地に広がっており、どこへ行っても危険という状況です。どこで内戦に巻き込まれるかわかりません。
クーデター以降、死者数も増えています。不当に逮捕される国民も日々増えており、実際に死刑となった人たちもいる。
刑務所内の環境は劣悪。狭いところに大勢が押し込められ、寝る場所もないほどです。食事もままならず、治療も受けられない。アウンサンスーチーさんでさえそういう状況だと聞きます。政府批判のライブをしたミャンマーの歌手は今年拘束され、懲役20年の判決を受けました。何の罪も犯していない人たちが簡単に拘束される。
日本で難民認定されない人というのは民主化運動にかかわっている可能性が高いので、帰国したら拘束されてしまうことは目に見えています。実際、タイから強制送還された国民防衛隊のメンバー3人は銃撃されて消息不明になっている。もし強制送還された場合、国軍に拘束されて拷問されて死亡する可能性が高いのです。
第2部は、コーディネーターに丸山 文さん(米国コロンビア大学大学院ソーシャルワーク学科修了、難民支援団体で勤務後、松本市多文化共生プラザコーディネーター)を迎え、最初に3人の登壇者からのコメント、次に会場からの質問、意見交換という順で進められました。
なぜアジアでは難民条約締結国が少ないのか、難民を受け入れると日本の負担が増えると言っている人にはどう伝えたらいいか?
赤阪さん:アフリカやラテンアメリカでは難民条約に加入している国が多い。その理由としてアフリカは内戦や自然災害が多いなどの理由で強制移動を強いられていることと、大陸なので人の移動が容易なのでお互いに認め合うしかない。難民条約ができた理由は国際協力なので協力しようとの姿勢がある。
アジアの場合は他国からの難民を受け入れると自国が立ち行かなくなることや、民主化されていても軍事国家や独裁国家なの人道主義的に受け入れようという考えがない。
日本が難民を受け入れても40年間で8万人なので日本人の就労を圧迫することは考えられない。外国人の犯罪も増えているわけではないc
ティ・ハ・ソーさん:日本では人手不足なので、受け入れることでそれが解消されると思う
井手さん:川上村のレタス農家ではかつては日本人が働いていたが耐えられるなって日本人のバイトがみんないなくなり残ったのは外国人だけといった状況と取材をした記者が話していたから、職を奪われるということは起こらないと思う
強制送還の費用はどこが負担するのか?
赤阪さん:特定の国への送還は国で予算化されているが、基本は自主出国なので本人が手配する
在日ミャンマー人が日本でデモをしている報道がされているが、ミャンマーに帰ったとこは大丈夫ですか?
ティ・ハ・ソーさん:ミャンマーに帰ったら逮捕される90%以上あると思いますので、帰れないということをわかってやっている
日本はなぜ難民認定が低いのか?
赤阪さん:入館長は、難民認定をするとビザなし渡航ができるアジアやアフリカの国からからどんどんやって来るが、日本国民は望んでいない、と話していた
ティ・ハ・ソーさん:日本は島国なのでビザがないと来られない。ミャンマーではビザを取得するのが厳しいし、難民申請も厳しい。ビザがないと来られないので、多くの難民が来るという心配はないはず
私たちにできることは何があるか?
ティ・ハ・ソーさん:難民とか外国人とかではなく、お互いに困った時にはことを助け合うことが大切だと思う
井手さん:優しく見守って、声をかけていくことで、相手から学ぶことがあると思う。お互いにさまという気持ちを忘れないことが大切
赤坂さん:ラオスに行って学んだのは、助を求めることだった。今の日本は高齢者だけでなく弱者に冷たいと東京で電車に載っていると感じる。怪我をして杖を使っていた時に電車に乗ると座っているひとがみんな寝たふりをするが、外国の人の多くは席を譲ってくれた。日本で苦労していると思った。その人たちから学ぶことがあると思った。
無視するのは楽だけど、勇気をもって行動すること