【2016年1月16日(土)13:30~15:30 松本市Mウイング】
参加者:162名
特別参加いただいた加藤友志さんは、東京学芸大学4年生で人権教育を主に学んでおられ、結成当時からSEALDsに関わり、デモの現場責任者も務める中心メンバーの一人です。
“おかしいことをおかしいと言おう。学生が声をあげることで、社会に変化を与えて始めている。おかしいことを放置していると、将来きっと死者が出てしまう。今、動かないといけない。自衛隊員の友人等、安保法制に反対したくても出来ない人々が大勢いる。僕たちは彼らの声も代弁して声をあげていきたい。”との強いメッセージ。
また、“ただ反対反対と言って、敵対するだけではダメ。相手のことを良く知り、認め合うことも大事”とも仰り、実際に行動している人ならではの説得力のある言葉が強く心に残りました。
講師の山田さんは現在、専修大学人文・ジャーナリズム学科教授、学科長に就かれ、ジャーナリズム論の専門家として活躍中。軽快な語り口で盛り沢山のお話があり、とても勉強になる内容でした。全て書ききれないのが残念ですが、特に以下の点が印象に残りました。
テロ対策や国の防衛戦略に代表されるように、国家的利益が常に優先される世の中になってきた。本来は優先されるべき言論の自由が二の次になり、例外的であるべき人権の制限がむしろ原則化されてしまっている。そのような環境の中、健全なジャーナリズムの存在は益々重要。
表現の自由を脅かす3つの天敵の存在を理解しておくこと。
誰もが(人)、好きな時に(時)、好きなことを(内容)、好きな所で(場所)、好きなように(方法)、発表すること この自由を守っていくことが大事
メディアを生かすも殺すも我々受け手次第。何としてもメディアを鍛え直さないと表現の自由は守れない。我々市民の力で健全なジャーナリズムを守っていくことが最重要。
加藤さん、山田さんの他、又坂常人さん(信州大学特任教授)、吉澤裕美さん(弁護士)も登壇され、予め募った質問・意見に回答する時間に。司会は松本猛塾長が努めました。
廃止法案を可決させれば可能ではある。そのためには反対政府を作り、憲法解釈の閣議決定を撤回し廃止法案を提出する必要がある。(又坂)
違憲立法審査権を使って訴訟を起こせないかとの意見があるが、違憲性は何かの事件が起きなければ審査対象とはならず、本法案について争うのは現状では難しい。(吉澤)
廃止に持っていくには、圧倒的民意による反対表明が必要。その代表的手段は、①選挙②世論調査③市民活動。
沖縄基地問題ではこれらが奏功しているが、安保法制に対しては弱いのが現状。(山田)
衆参同日選挙が話題になっているが、これはマスコミや政府が煽っているもの。今の勢いのまま与党が2/3の議席を獲得すると、改憲が現実味を帯びてくる。改憲は憲法3原則(基本的人権、戦争の放棄、表現の自由)が全て変わることを意味する。憲法は本来、国民の権利を規定するものだが、改憲されれば義務を規定するものになってしまう。(加藤)
政党間の調整が上手くいくかどうかにかかっている。各党が小異に目をつぶり、所謂“大人の対応”が出来れば連合は可能ではないか。連合政府は“野合批判”に対してきちんと説明し、国民の支持を得なければならない。
連合政府ではないが、長野県では“信州市民の会”が県内全市民団体に呼び掛け、市民連合を立ち上げた。その中で、野党統一候補を擁立しようという動きがある。候補者の条件は
の3点に賛同出来ること。これは画期的動きだ(又坂)
長野県の動きに賛同する。市民が政党に使われてはいけない。市民が主導して政党を動かしていかねばならない。(加藤)
最近話題になる立憲主義とは、権力は権力者の恣意ではなく法によって行使されるべきとの考え方。憲法がライオン使いとして、権力者の行動に枠をはめていく必要がある。(吉澤)
次の選挙では“安保法制に賛成した議員には投票しない”ということをどれだけ共有できるかがポイント。18才からの選挙権や初の本格的SNS選挙が、どう影響するかも注目していく。(山田)
中国とアメリカ、中国と日本の経済交流がこれだけ盛んになっている中で、そのような動きは起こりえないと考えるのが真っ当。(加藤)
安保法制は、周辺国を牽制するどころかむしろ刺激するだけで、逆効果ではないか。仮にそれらの国が攻めてきても、個別的自衛権で十分対処可能。最近の法制度こそが緊張を逆に高めている。(山田)
尖閣諸島を想定する人もいると思うが、それは警察力(海上保安庁)で対応すべきレベル。本当に日本本土に攻めて来たらそれは国連で諮るべき事態。国連が動くまでは個別的自衛権(自衛隊)で対応でき、何れにせよ集団的自衛権は必要ない。(又坂)
メディアとして①テレビ(放送)、②新聞、③出版を比較した時、報道内容に対する圧力は、①が一番厳しい。続いて②、③の順。今後、益々影響力が高まるSNS等のネット環境は“放送”の範疇で捉えられ始めている。
テレビ(放送)は免許事業であるため、政府に頭が上がらない。新聞は部数維持のプレッシャーの中、どうしても遠慮が生じたり、スポンサーにも配慮しなければならない。その点、出版は自由度が高い。
メディアの弱腰を批判するだけでは無い物ねだりであり、建設的でない。それぞれのメディアのジレンマも理解してあげた上で上手く付き合おう。情報を受け取る側である我々がメディアのレベルを決めるのだと自覚し、メディアを育てていくことが大事。(山田)