第1部
講演「放射能の身体への影響(要旨)」阿部宣幸氏
講師の阿部さんは、スライドで各地の現状を説明し、政府・行政の種々の指示、処理に多くの疑問を示した。それを列挙すると、
福島の仮設住宅が不思議にも線量の高い所ばかりに設けられている。南相馬など線量の低い所に居た住民を、わざわざ飯舘など線量の高い所に避難させ、被爆者を増やすことになった。
ある小学校の校庭の土をはぎ取り、端に積み上げたところ周辺の住宅から拒否され、結局校庭のまん中に埋めざるをえなかった。飯館村では、最近下がった数値のモニタリングのあるところだけを発表し、他所ではまだ高い所があるのに?低く見せるために発表しているとしか思えない。
亘理町の幼稚園では、砂場の砂をごっそり新しい砂と入れ替えた。数値が下がったはずなのに下がらず不思議に思った。再々調べてみると周囲の枠のコンクリートから高い放射線がでていた。コンクリートを替えてようやくレベルが下がったこともあった。
一般住宅では雨樋の下部の数値がどうしても下がらない。地下に染み込んだ水で家の基礎部分から放射線が出ているという深刻な状況もある。
屋根の除染でも古い瓦ほど除染しにくい。そのため屋根に近い二階や窓などに近づくと高くなる傾向がある。家の中で比較的安全な場所というのが窓から離れた一階のまん中の部屋という事実。
公園の土を除染したが、山積みされたまま放置。遊具があっても遊べない。
住民に除染を呼びかける看板をたてて、除染作業をしているが、マスク、手袋なしで作業をしている人をみうける。道路には工事中のような小さな看板が置いてあるが、とくに何を注意するべきかなどを書いていない。
住民たちが、汚染された落ち葉を集めている。集められた落ち葉の袋は、当然線量が高くなっている。にもかかわらず不用意にそれをいくつも抱えて運ばせているという安易さ。
花火大会会場では、実行委が事前に測定して低い数値と発表。実際に測定してみると、観客の座るシート上で6.5μsv、その下方では13μsvと倍の数値がでた。仮説トイレでも5.5μsvの数値。実施を急ぐあまりのずさんさに疑問を覚えた。
学校でも児童たちの登校時はマスクを着用しているが、下校時にはほとんどの子どもがはずしている。教師たちは安全指導にも徹底がかけているように感じる。
中・高校生の女子の中には「もう子どもは産めない」と話す生徒もいる。
生徒たちのリーダー格には「これ位なら大丈夫」という安全派が多いように思う。そのような中で「保養」に「逃げるのか」という雰囲気もある。仲間はずれなりたくないので本当の気持ちが言えないということもあり、友達関係にもいろいろ影響がでている。
(注:「保養」とは、一時的に線量の低い地域に疎開して、心身にうけている放射線やストレスから解放して、免疫力の回復をはかる措置。)
このように国や行政、メディアなどが発表することがどれほど事実と異なるか、改めて思い知らされた。講師が「数字が分らなくても、これだけは覚えて」と言われて示したものは「放射線は1本でもDNAを傷つけている。これくらいなら安全という数値はない。そのようなまやかしで進めている国や行政、東京電力に対して国民が更に厳しい目を注ぎ続けなければならない」と強調された。
1ベクレルとは、1秒間に1本の放射線が出ていることを表わす単位で、暫定の500ベクレルは、1秒間に500本の放射線、1分間に30,000本、1時間で1800,000本、24時間で43200,000本。
第2部
全体トーク「原発被災者・被災地の『今』~私達にできることはなに?」」パネリスト自己紹介=森永敦子さん
(避難まで)
昨年5月、こどもと一緒に福島から長野県に避難してきた。福島にいる友人のお母さんたちが苦しんでいるのに対して、何ができるだろうと毎日悩みながら、福島と長野を何度も何度も往復して、いろいろな活動をしてきた。
福島では、ある専門家(山下氏)がアピールした「安全」ということばが、行政、学校関係者、医療関係者などに浸透してしまっているため、お母さんたちが不安を訴えれば、「心配のし過ぎだ」「お母さんたちが心配するから、子どもたちが病気になる」「そういうことを言って回るから、風評被害が起きる」と言われ、「みんなを不安にさせる狼少年だ」というような扱いを受け、苦しんできた。
そんな中で私たちは、「子どもたちを守るのは自分たちの判断しかない」と考えるようになった。校庭の放射線量も実際に自分たちが測った数字と行政が発表する数字が大きく食い違った。学校が発表した数字は0.8マイクロシーベルト。自分たちが実際に測ったら5.9マイクロシーベルトあった。ここで子どもに当たり前に体育をさせ、運動会をするといった学校に対して、私たちは不信感を持ち、このままではいられないと思って避難してきた。
その頃、子どもはずっと鼻血を出し続け、私自身も体調を崩していた。経験したことのない頭痛、めまい、歯茎がはれて、口をすすぐことしかできなかった時期も。熱いものを口に入れたようなピリピリ感が何か月も消えなかったが、医者はいっさい取り上げてくれなかった。こういう事態が起きているということを、実際に数字を出し、それがどの地域で、どれくらい訴えがあったか、きちっと数を把握し、何が起きているのか調べてもらいたいとずっと思っているが、そういうことは実際には行われていない。
(長野県に来て)
避難してきてから、同じように避難した家族に会ってみると元気がない。避難した後、自分の存在感が感じられず、周りに知り合いもいなくて、ちょっとしたことを相談する人もいなくて、とてもつらかったと。知らない土地に来るということがどれだけ心の負担なのかということがよくわかった。
同じように孤立している家族がたくさんいるのではないか。以前いた土地には仲間がいて、サークルがあって、PTAの活動があって、仕事があって、自分の役割があるという存在感があった。それが、突然知らない土地に来て、子どもと一緒にいて、自分が何をしていいかわからなくなって、どんどん不安になっていく家族がいる。その不安感からまた戻ってしまったという家族もいる。
なんとか、そういったお母さんたちが、そういう思いにならないように、こちらに来て幸せに暮らせるようにしたい、と思って、みんなで集まろうと声を掛け、そこから立ち上がったのが「手をつなぐ3.11信州」。支援者の方から1軒、家をお借りし、そこを拠点にして活動を始めた。
福島県では「安全キャンペーン」が行き届いて、復興、復興、復興というムードの中で、自分たちが避難するということを口に出せない状況に。避難したい、保養したい、ということをなかなか言い出せない。言うことをあきらめたそんなムードが非常に強い。
今、いちばん支援要請が来ているのは、実は関東圏から。関東圏で不安を抱えている人たちが非常に多くなってきて、何とか夏休みを利用して避難したいとSOSを発信している。
松本市は菅谷市長がこの放射能のことに理解があって、子どもたちを守るべきだと、子どもたちを本来は疎開させるべきだと、ずっと主張して下さっている。あちこちで講演を数多く繰り広げていただいているおかげで、保護者が「松本市に行けばなんとかなる」と感じ、ほかでは理解してもらえなくても、ここに行けば自分たち何とかいられるのではないか、そう思った関東圏の人たちがこちらに来ようとしている。しかし、松本市でもキャパシティーに限界があり、入れる公営住宅などの量が足りないため、20人、30人待ちという状態になっている。
親子を保護するためのシェルターが必要。1軒、浅間のほうに借りられる家が見つかり、シェアハウスという形で複数の家族がとりあえず間に合わせで生活できるようにしたいと思っている。
避難に対する考え方はさまざまあり、「なぜ市税を投入して福島県の人ばかりをというようなチラシが先日まかれ、ショックを受けた。「子どもを保育園に入れたが、私たち保護者を、こちらの人たちはどういう目で見ているんだろう、非常につらいというメールがたくさん来た。私たちは、まだまだ伝え方が足りないのかなと思っている。
国は本来、生存権を、基本的人権を保障しているはず。放射能災害に関しては、満たされてはいない。子どもの生存権すら守れない、そんな国になっている。子どもたちが安全な場所で暮らせる、そうした当たり前の状況を作り出すために、今、松本市が人道支援として、国や東電が責任を持つべきところを肩代わりしてくれている。
ぜひそのあたりのところをご理解いただき、「なんで福島県の人ばかり?」「もう復興してるんじゃないの?」という声があったら、ぜひ、きょう聞いた話を伝えていただきたい。
私たちの活動は、カンパと助成金などで支えられている。人手も足りない。皆さんのお力添えをぜひよろしくお願いいたします。ありがとうございます。(拍手)
司会者冒頭コメント=松本猛塾長
私も去年、福島に調査に行き、飯舘村の3つの小学校を訪ねた。3校の校長先生のうち2人は、教育委員会から派遣された新しい先生だった。校長は「子どもたちは大丈夫でしょう。こんなに元気でしょう」と強調した。しかし、別の学校に転勤した校長先生を訪ねると「どんなに大変なことが起こっているか、わかっていますか」と言われた。
スクールバスの中で、ものすごく激しいイジメが出ている。川俣町などいろんなところに避難している子どもたちが戻ってきている。なぜ戻ってきているのか。「福島にいても、郡山にいても、みな線量は高いし、同じだ。それだったらイジメられない元のところに戻ったほうがいい」ということで戻っているという。
なぜ、教育委員会の人たちとかが「大丈夫だ」と言いたがるのか、この辺が実は大きな問題じゃないかと思う。
この間の国会でも、事故調は「人災」だと言っているのに、野田総理は最後まで「人災」だとは言わなかった。それはなぜか。おそらく人災だと認めた瞬間に、誰に責任があるのか、ということが出てくるから。1つは東電、1つは政府。そこが責任を取らなければならなくなるので、人災だということを認めないのではないか。
質問1=福島の農作物の購入は支援になる
会場からいくつも重要な質問が寄せられている。
「支援のつもりで福島の米を取り寄せているが、本当に大丈夫なんだろうか」「福島の農作物が汚染されているというのは風評被害にすぎないと言われるが本当にそうなのか」という安全性についての質問。
「野菜などを直販などしているところから積極的に購入して支援をしようと思っているが、これは支援になるだろうか」という質問も。
私たち、長野県に、松本、安曇野周辺に住んでいる人たちにとって、どんな支援をしたらよいのかと考えているものにとって、大きな課題なので、まず、この辺から話を伺いたい。
回答=阿部さん
福島市で生まれ育ったので、地元の産物に関して悪く言いたくないが、全国の人たちを内部被爆させたくない。日本のシステムがきちんと測って、安全なものは安全、危険なものは危険と、きちっと線引きがなされるまでは、口にするのはやめていただきたい。
実際に福島でとれたものでも、ほとんど数字が検出されないもの、汚染されていないと思われるものがたくさんある。我々、測定所で測定していて実際に手ごたえを感じている。しかし、中にはとんでもなく汚染されているものもある。ある地域で有機栽培をしている農家、この方は「有機栽培の作物には放射能は入らない」という神話を信じて、自分で作ったものを食べていた。ところが、本人がとても高い内部被爆をしていたため、いつも食べている米を持ってきてもらい、測ったらキロ当たり700ベクレルあった。
福島のために役に立ちたいと思う皆さんの気持ちはうれしいが、現実的には、それは福島支援ではなく、東電支援になってしまうと思う。数字がきちんと正々堂々と、隠蔽することなく、クリアに示されるまでは、ぜひお控え願いたいというのが私の気持ちだ。
回答=森永さん
私自身が福島から食品を取り寄せられるかというと、母としてはできない。
私自身は、福島県の中通りのいちばん南側の地域から避難してきたが、ホウレンソウなどの数値が地元のホームページで発表され、安全だと出ている。全部の畑で測っているのかと問い合わせたら、ひとつの畑で測っているだけとの回答。行政は、ひとつの畑を抜き出して測り、低かったから全部安全だといって集荷し、発送している。
私の住んでいたところは酪農地帯で、牧草から出たといって大騒ぎになった。牧草が生えているすぐ横に畑もある。畑の作物は安全で、牧草は安全でないとホームページに出ている。私はとても怖くて食べられない。
福島では役所などに「風評被害対策」とかの垂れ幕がかかっている。そこに放射能がある限り、それは「実被害」というべきではないか、垂れ幕を変えてくれと言ったこともある。
それが福島県の現実だ。安全かどうかということ自体が非常に不確か。農家がなんとか売りたい、生計を立てたいという気持ちは非常によくわかる。しかし、本来、売れなければ、東京電力が責任を取るべきだと思う。
誰かが安全だということにし、風評被害だということにして、誰かが食するという形をとれば、阿部さんが言うように、東電支援になってしまう。東電が補償しなくていいということになってしまう気がする。
質問2=放射線による健康被害は
放射線による健康被害の実例を知っている範囲で教えていただきたい。
回答=阿部さん
放射線がなくても発病したものなのか、放射線による汚染があったために起きた疾患なのか、線引きが困難だと言われている。ただ、数字的にちょっと興味深いのは、原発に近い浪江町の場合、避難所で亡くなった人の数が例年1年間に町内で亡くなる人の倍以上だった。避難所、仮設住宅というのは過酷な状態なので、確かにストレスは大きいだろうが、例年の倍以上の人がなくなり、突然死が多い。具合が悪くて通院されている人がなくなるというのとは違うという。そのあたりをどう判断するか。
回答=森永さん
5月に避難してきてしまっているので、福島でどういう健康被害がいま起きているかは、ほとんど目にすることがない。こちらに避難してきた人に聞くと、やはり、子どもたちの鼻血が止まらないというのが非常に多い。関東圏の人たちからは、子どものアレルギーがひどくなったというのをよく聞く。いったん遠くに避難して、家庭の事情で東京や千葉などに戻ると、治っていたアトピーがひどくなる。瓦礫の焼却処理が始まっているので、細かな粒子が飛び、それが影響してるんじゃないかなと。
私自身も、心筋梗塞でなくなったというケースをよく聞く。知り合いも1人亡くなった。郵便局の仕事をしていた60代の女性で、この人も突然死。昼間ぴんぴんしていて、夜、風呂に入ったまま出てこないので、見に行ったら亡くなっていた。3.11以降も普通に車で郵便配達をしていて、放射能のことを全然心配しないで、窓全開で走っていた。放射能との因果関係で結びつけることはできないが、そういったケースが多いことを不安に思っている。
松本
医学的に因果関係を論証するのは難しいことのようだ。広島での原爆の問題でも、水俣病の問題でもそうだが、何十年もかかって因果関係がわからない。数字的には確実に上がっていることは事実だが。放射線に関して言えば、数年たってからの問題のほうが大きいのではないか。
質問3=避難者の実態は
もともと住んでいたところから避難せざるを得なかった人たちが十数万人。県外に行った人も5~6万人以上いると言われているが、その実態は。
回答=阿部さん
各都道府県に避難している人たちをカウントしてくれないかと依頼して、数を把握しようとしたことがあったが、不可能だった。実際には発表されている人数よりずっと多くが自主避難されていると思われる。福島市でも保育所とか廃業してしまっているところが結構ある。子どもが1桁しかいない幼稚園もあちこちにある。普通に生活している中で、どこに行ってもそういう話。それをきちんと取りまとめたらすごい人数になる。幼稚園児がひとりで避難することはないので、少なくともお母さん、兄弟が一緒に行く。お父さんが残ったとしても、発表されている数字よりずっと多いのではないか。
若い看護師さんとか若いお医者さんとかで放射能汚染を心配される方は大変多くて、医師・看護師不足というのが起きている。救急病院が、看護師不足を理由に救急から外れたといったこともあると聞いている。
回答=森永
「避難をする」とはっきりと言うことを周りの状況が許さない人も結構いる。「ちょっと親戚のところに行っている」とか、「出産で出ている」とか、「実家に帰っている」とか、「知人のところへ」とかいうものは総数から外れてしまう。家族の中でも、いっぺんに避難していない、子どもだけ預けてとか、上の子だけとか、下の子だけ避難しているとか、そういったケースもたくさんある。お兄ちゃんが高校生という場合には、高校の転校は非常に難しいので、高校生は置いていく。だけど、小学生はなんとか避難させたいので、下の子だけ親戚の家に預けて、そこから学校に通わせてもらっているというようなケースもある。だから、数は本当に読みづらい。
避難というのが公的にちゃんと保障されていないために、自腹避難をしなければならない人が非常に多くなっている。福島県には雇用促進住宅があったり、長野県だったら借受住宅があったりというような形でフォローがあるが、関東圏の場合は同じ放射能値があっても、そういった場所がないため、経済的に許される人しか出られない。そのあたりが全くカウントされていない。
こちら松本市でも、市役所へ行き、「私たち放射能避難です」と言っても「特になにもありませんのでどうぞ」「特に手続きはありませんから大丈夫です」と言われるだけ。
そこで、活動を知らせるチラシを作り、窓口においてくれとお願いしている。市役所で何もできなくても仕方がないが、せめて私たちのところに連絡をくれるようにお願いをしている。
質問4=長野県に住む者ができる支援は?
「何か支援をしたいが、何ができるかわからない」という人がたくさんいる。長野県に住んでいる私たちが今できる支援についてお話をいただければ。
回答=森永さん
福島では、避難がしづらい状況ができている。笑い話のようだが、いま避難する人が非難される。ほんとうに「非国民」のようなイメージになってしまう。「復興を一生懸命やっている中で避難をするとはなにごとだ」というようなムードができてしまって、言い出せない。先ほどの高校生たちの話ではないですけど、もうあきらめている。「自分たちはどうせ仕方がないんだ」、そういう風に感じ始めている。
福島で行政側が、「そんなに心配はない、被害は出ない」というような言い方をしているのに対して、私たちは、例えば「チェルノブイリ、ベラルーシの人が避難をしないで住んでいるのは、定期的な保養というシステムがあるからですよ」というふうに案内をし、「保養に出ませんか、そういう仕組みをつくりましょう」と呼びかけてきた。
それでも、保養ですら、もう要らないんじゃないかというムードができてきていると聞き、ショックを受けている。
「保養」とは
レジャーでリゾート地に行くのとは違い、ずっと被爆状況が続いている、細胞にずっとストレスがかかっている状態、精神的にストレスがかかっている状態から解放される時間をできるだけ長くとってやること。医療的な意味がある取り組み。
子どもたちの場合は、新たな細胞がつくられるペースが速いので、時間が長ければ長いほど元に修復する機能、免疫が働く。レジャーでたくさんプログラムを作り、いっぱい遊ばせて、楽しませて元気にするという意味ではない。むしろ、当たり前に、土に触っていいよ、水に入っていいよ、太陽の下で洗濯物を干していいよ、という時間をとって、開放的に遊ぶというための保養。
「保養プログラムの交通費の助成」をする自治体やNPOもあるが、募集要項に「教育的な配慮があるか
とか「地元との交流はあるか」といった要件がつけられている。しかも、団体で利用しなければいけないとか、出発地が同じでなければいけないとかがある。そうなると、家族がばらばらに自分たちのペースで保養に来ることは許されず、残念ながら使えない。そういうことがあって、保養が保養にならない、なかなか理解してもらってないということが未だにある。
回答=阿部さん
保養に関して地元で中心的に活動している者によると、いま、福島のほうにいろいろな保養のプログラムが届くが、多くが抽選。先着30人とか50人とか、多いときは100人とか、それが抽選で行われる。その抽選に当たるかどうか不安だという状況。したがって、いったん引き受けた子どもは、10年、20年というスパンで面倒を見てほしいと言っている。いくつかの団体がそれに賛同し、福島のどこどこ地区の子どもたちは毎年受け入れますよと言ってくれればありがたい。毎年、同じこともたちが同じところに行くことによって、子どもが自分たちで遊べるようになり、土地勘がつく。親御さんが地元の方と仲良くなって「うちに就職しないか」という話になり、避難から移住に結びついたというようなケースもあるという。自分たちを待っていてくれる人がいるというのは非常に心強い、というような声がある。無料などにしていただかなくても、受け入れていただくだけで感謝している。無理のない範囲で10年、20年という長いスパンで面倒を見ていただければ、いちばんうれしい。
回答=森永さん
長野県でプログラムを組んでくださっている方たちの悩みは、現地の状況がわからないこと。申し込みが殺到しているプログラムがあれば、全く来ないものも。例えば抽選だとなると、お母さんたちは大量にいろんなところに申し込む。当選しましたと言われた瞬間、ほかを全部キャンセルしてしまう。福島側の優先順位がつかめず、プログラムの組み方が非常に難しいなと思っている。
期間については、できるだけ長くと考えているが、長期間となると一番困るのはマンパワー。キャンプを長期間やるには人手が非常にかかる。いろんな団体が「この期間は自分たちが面倒を見るよ」と言っていただけると非常にありがたい。
場所はできれば一定の場所で、子どもたちがあちこち移動しなくてもいいような仕組みにしたいと思う。
今年は今すぐ何かができるわけではないが、キャンプの立て方など福島サイドといっしょに企画を立てるような場がほしいと思う。
もうひとつ避難に関しての支援としてお願いしたいのは、地域を限定しないでほしいということ。汚染があり、危険だと感じて避難したい人たちは福島だけではない。関東圏も宮城やそのあたりも本当は危険。しかし、行政が認めないため、避難すると言えない。だから、「こっそり避難したい」という人たちもいる。だから、松本市に関しては、安曇野に関しては、長野県に関しては、「こっちへ来たら堂々としていていいよというムードを作ってあげてほしい。それはぜひお願いしたい。
こんな形の被災者支援も=野菜の架け橋
(会場・女性)
昨年の5月末から福島県いわき市から家族で安曇野に避難。昨年の10月から、いわき市に残っている友だちのお母さん方に安曇野の野菜セットをつくって送っている。地元の野菜しかスーパーになくて、心配で何も買わずに帰ってくるという友人もいて、この活動を始めた。東京から来たお母さんとも知り合い、いまは5人で、東京と福島に野菜セットを販売の形で送る活動をしている。
私自身、こちらに来て、私自身の存在を確認したいこともあって活動しているうちに森永さんと知り合い、地球宿のお父さんと知り合って、福島を支援していこうというプロジェクトにも加わった。福島で育ってきたので、今後も関わっていきたい。
松本塾長まとめ挨拶
きょう参加していただいた方の意見の中に、原発事故の被災者への支援と同時に、大飯原発が再稼動してしまったことに、どうして対処していったらいいのだろうかという声もありました。明日は東京の代々木公園で10万人集会というのがあり、きょうこちらにいる方の中にも参加する方がいるかも知れません。毎週金曜日に首相官邸の周りに、10万、20万という規模の人が集まるなど、いろんな動きがあると思います。今私たちはどういう形でこの原発の問題に取り組んでいったらいいのか、これから考えていかなければならないと思います。
その時に何より大事なことは、事実を正確に知るということではないかと思います。
私も去年福島に行った時の経験をもとに、「ふくしまから来た子」という本を書きました。福島の方に、「あなたは間違ったことは書いてない。だけど、これを書くことによって福島には行きたくないという人が増えてしまう」と言われました。
その方には、「あなたのように考える人がいることを、いつも話します」と述べました。事実を正確に知る。その上で、どうしたらいいのかと考えなければ本当の解決にはならないのではないかと思っています。
本日の会はこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。
2年ぶりに豊かに実った野菜を、里帰りした子や孫に食べさせようとしない老夫婦。親が持たせた食材を、避難先への帰り道、泣く泣く処分する息子や娘。パネリストのお2人が集会のあと語った「原発被災地の家族の今」です。
福島、沖縄、水俣…、人々を差別し、分断する動きが着々と進んでいます。
「何も変わらないのではと、時に空しくなることもあります。でも、めげないで、悪いものは悪いと言い続けましょう。自分でも人さまの役に立つことがある、その思いが私たちの力の源です」。自遊塾の翌7月16日、代々木公園での瀬戸内寂聴7.15第6回の記録についてさん(90)の言葉です。(記録担当:中澤哲哉)
「放射能情報のウソとホント」感想と自由塾への要望
・実際にマスコミ等で知った情報と違っていたり、具体的な被害等も今回聞いて、何も知らずにいた事を恐ろしいと感じました。このような講座に参加できて良かったと思います。
・今日の新聞を見てとびこんで来てみました。何もできませんが、一つひとつ勉強させて下さいませ。
・原発のない社会をめざして、思いは同じでも、国会前、内閣府前に行くことができない。被災地でボランティアができない・・・そんな人たちもいっぱいいると思います。
せめて、その意思だけは表明したい。同じ思いの人たちと連帯したい・・・と思うとき、例えば、“私は、原発に反対です!”とか“原発ゼロ”といったステッカーを自分の車に付ける等々できるとよいな希望しています。信州自遊塾で作りませんか?
広島・長崎の被曝から、70年近く経っているのに、鼻血、歯ぐきのはれ、めまい、etc原爆症を思わせる症状に対して、行政も、医療もあまりにずさんな対応、もしくは無視という現状に驚かされます。1945年8月の末に、台風が原爆投下直後の市街を一掃した後に、疎開から帰って、がれきの中から家財道具を堀りおこしていた当時小学校2年の祖母は、それから20年後30歳で癌のためあっという間に死にました。原爆と癌の死亡をいつもつきつけられています。70年近く経った日本で、それをくり返してはいけないと、心から思います。
・デモや集会の参加ツアーなど組んでいただきたいです。
・知らないことの恐ろしさに気付きました。本当の情報をこれからも伝えて下さい。東京でできる原発反対を続けます。
・びっくりする話の連続でした。自分から知ろうと思ってでかけられなければ、知らずにいたことが多かったということで有益でした。知らされなかったということは、何だか大きな問題であると思うことがある講座でした。
・マスコミが報道している事実と実際は全く違うと感じました。
・明日に、東京の反原発集会10万人大会に行きます。
・新聞やメディアだけで福島の状況を知っています。原発に関しても不安は多く、大飯原発再開の事も何とかならないかと思っていました。何にも今までできなかった自分がはがゆく、少しでも自分のできる範囲内で手助けできればと思っています。何か行動ですね。
・愕然とさせられる現実のお話ばかりでしたが、今後、どう生きるか、どのような活動ができるのかを考える大切な時間となりました。移住・保養・心身のケアの重要性を伝え広めて参ります。
・1人の力は小さく何もできないけれど、多くの人の力が集まれば何かできると思います。大勢で知恵を出し、できることをしていきたいです。
・「情報を知る事が大切」だと改めて思う。有意義な会でした。
・手をつなぐ3.11信州サポーターネット代表さんへ 避難して来る人の爲の住居(一般のアパート)は今空いています。ただ内情がよく分らないのでアドバイスも出来ませんが、不動産屋さんにはパイプがありますので、必要がありましたら声をかけてください。
・福島県の現状をだいぶ知ることができました。本日は、家田の放送大学の教え子を2名連れて来ました。参加者が、年々増えて行くことも、本会の発展と考えています。
阿部さんのお話、森永さんのお話を聞き心打たれました。原発は絶対に許せない想いです。お互いに節電と自然エネルギー発電につとめたい。